やった~、マエケンに勝った~~!
サンデー晋ちゃんおめでとう!
雨の中の試合は戦う選手も応援するファンも大変ですが、勝つと喜びも一入ですね。
そこで今日は雨にちなんだ曲を♪
ショパンの「雨だれ」?
いえいえ、それだとあまりにもベタなので、今日はブラームスのヴァイオリンソナタ第1番をご紹介します。
こんな曲です↓
イツァーク・パールマン(ヴァイオリン)&ウラディーミル・アシュケナージ(ピアノ)
この二人のデュオは私は大好きで、もう30年以上前に日本で共演したベートーヴェン、ヴァイオリンソナタ全曲の演奏会は未だに忘れられません。
(なのにアシュケナージさんったら「もうピアノは弾きません。指揮に専念します」宣言をしてしまいました…orz)
この曲のどこが雨にちなんでいるのかというと、第3楽章にブラームスの歌曲「雨の歌」が使われているからです。
「雨の歌」、フィッシャー=ディースカウの歌でどうぞ♪
そしてこちらがヴァイオリンソナタの第3楽章です。
この曲、最初に「ヴァイオリンソナタ」と表記しましたが、原題はSonate für Klavier und Violine Nr. 1 G-Dur op. 78、「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ」です。
お聴きになっておわかりのように、ピアノは単なる伴奏ではなく、ヴァイオリンと対等に、時にはヴァイオリンより目立つ箇所もあります。
「もうピアノとヴァイオリンは既に運命共同体となっておりますので、どうか最後までお付き合い下さい」という曲です。
さて、ブラームスについては以前「51の練習曲」でも書きましたが、1833年ハンブルグ生まれ。
ピアニストとしては早くから活躍していたものの、作曲家としては不遇の日々を過ごしていました。
「献呈」でご紹介したシューマン夫妻と知り合ってブラームスの人生は大きく変わります。
シューマンはブラームスの才能を認め、広く世に紹介します。
そしてクララ夫人…。
ここでちょっと3人の年齢を確認しておきましょう。
シューマン1810年生まれ、クララ1819年生まれ、そしてブラームス1833年生まれ。
シューマン夫妻と出会ってすぐブラームスは14歳上のクララに恋心を抱くようになりました。
でも自分の作曲家としてのキャリアを手助けしてくれた恩人の奥さんに気持ちを伝えるわけにもいかず悶々としていました。
もともと躁鬱の傾向があったシューマンは、ブラームスと知り合った頃から精神的に不調を来たし、デュッセルドルフのライン川に投身自殺を試みます。
この時は助けられたのですが、以後精神病院に入院し、2年後に帰らぬ人となりました。
精神を病んだ夫を看病する自分に注がれる年下の才能ある男性(おまけにブラームスは若い頃はイケメンでした)の愛情のこもった眼差し。
クララは一体どういう気持ちだったのでしょう。
ついふらっと気持ちが揺れたことがなかったとは言い切れません。
クララは夫の死後、シューマンの作品を演奏し続け彼の作品を広めました。
(ちなみにクララは当時ピアニストとしてヨーロッパで大活躍していました)
そしてブラームスは一生独身を貫きました。
さて、上記の「雨の歌」。
これはブラームスの作品の中でもとりわけクララが気に入っていた曲だそうです。
それをわざわざヴァイオリンソナタに書き換えるブラームス、それを演奏するクララ…。
シューマンの死後、二人は恋愛関係にあったとか、ブラームスがプロポーズしたけどクララが断ったとか、二人はプラトニックだとか、諸説ありますが、結局はっきりしたことはわかりません。
「チュッ(笑)」なんて手紙も残ってませんし。(笑)
二人の関係が友情だったのか不倫だったのか、はっきりしたことはわかりませんが、この曲を聴くとブラームスの秘めた強い愛情が伝わってきますね。
私のお薦めの演奏はオイストラフ盤です。
Oistrakh in Prague
ASIN: B00000HXHP
ブラームス ヴァイオリンソナタ第1番
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2 コメント
ブラームスが一生独身だったのは、クララへの想いを貫いたからだと思っています。現実に二人の間に何かあったとは思いませんが、当事者はみんな苦しい思いをしたのでしょう。それにしても、ライン河に身を投げるなんて、ドイツロマン派の真骨頂?うちの指揮官のあれは、それほどロマンチックでもないみたいですけどねwww
コメントありがとうございます。
私もブラームスは一生クララを想い続けたのだと思います。
シューマンの看病をするクララにとって、ブラームスの存在は心の支えになっていたかもしれません。
でも、シューマンの死後はお互いを芸術家として尊敬しあったのかな、と思っています。
チュッ(笑)のメール、本人も死ぬほど恥ずかしいでしょうけど、ご家族、特にお嬢さんの気持ちを考えるとあんなメールを公開したお相手の女性に憤りを感じます