50話51話合併号 男の中の男なら お前のバットで決めてやれ!中野佐資の軌跡

1977年の夏、後楽園のレフトスタンドで中野さんと横井さんという二人の方と知り合います。二人は偶然にも茨城県下館市(現、築西市)から阪神の応援に来ていました。そして、この二人が中心となって「しもだて勝虎会(かちとらかい)」を立ち上げます。2004年度「しもだて勝虎会」の案内状に書かれていた、この会の概要は次のようなものでした。

下館は、茨城県の筑波山の北西、栃木県との県境に位置し日光連山がよく見える田園地帯です。またタイガースで昭和33年、首位打者に輝いた田宮謙次郎の生まれ故郷でもあります。「水戸っぽ」の流れを汲む反骨心と、田宮の影響で関東の中でも特にトラキチが多い土地柄です。第二期村山監督の時に「少年隊」として活躍した栃木県出身の中野佐資や茨城県守谷市出身の大野久、そして千葉県松戸市出身の和田豊を始め、土浦市出身の安藤統男、結城市出身の広沢克実など数々の名プレイヤーが地元や近隣より阪神タイガースの一員として我々を一喜一憂させてくれました。そしてまた、球界の左腕No.1にまで成長し、今年のMVPに輝いた井川慶も大洗町の出身です。また工藤一彦(土浦日大高)吉田剛(取手二高)金沢建人(磯原高)ら多くの縦縞戦士を茨城県から輩出しています。

 1988年、田宮謙次郎さんが村山実監督のもと、ヘッドコーチに就任したのを機に、それまで息をひそめていたトラキチが燎原の火の如く燃えさかり「しもだて勝虎会」結成の運びとなりました。その後は、毎年正月に、優勝祈念会を開催し、田宮謙次郎、中野佐資の両名は発足時から毎年参加。現役選手としてまたコーチとしても参加の和田豊、ほかにも麦倉洋一、北川博敏、金沢健人、吉野誠が参加。そして平成13年からは井川慶が毎年参加されてます。昨年の新年会では「六甲おろし」の大合唱の中、大いに盛り上がり今季の優勝への景気づけとなりました。(敬称略)

 私も、この新年会には、時々ですが参加させて頂いておりました。最近では石川俊介選手、清原大貴選手、坂克彦選手ら地元、近隣出身の若手も新年会に顔を見せていました。井川慶のNY壮行会を兼ねた新年会には、新聞、TVとあらゆるメディアが押しかけ大変な賑わいでした。

1985年11月3日、阪神タイガースは西武ライオンズを破り初の日本一を手にしますが、その17日後のドラフト会議では、逆に西武ライオンズに連敗してしまいます。ドラフトの目玉は清原、桑田の二人だけにすべての注目が集まります。桑田は早くから早稲田大学進学を表明し、一方清原は「巨人、阪神以外なら日本生命に行く」と宣言します。清原は6球団が1位指名するものの西武が指名権を獲得。清原を外した阪神は、熊本県八代一高の高校生、遠山昭治を指名します。2位指名でも鎮西高校の外野手、山野和明を西武と争い破れます。外れ2位は国学院栃木高校から三菱重工横浜(昨年の日本シリーズ第4戦でバッテリーを組んだ鶴岡慎也と石井裕也も所属しました)に進んだ中野佐資でした。なんと3巡目でも大宮東高校の福島明弘を指名するも、ここでも近鉄に負け、服部裕昭を指名します。1位から3位まで、すべて外れクジでの指名となります。この年は怪物といわれた清原、桑田だけが突出しており、特に大学生は不毛の年でした。12球団が6巡目まで指名した選手の中では六大学野球から選ばれたのは、たった二人だけでした。

優勝した1985年の翌年は3位と、何とか面目を保ちますが、翌々年には、戦後の阪神球団最低勝率.331(借金42)という惨めな成績で終わります。吉田監督は、優勝戦士への残像を追いすぎたが故に若手の登用が全くおろそかになってしまいました。トレードで獲得した柏原と田尾への期待が強すぎたのも一因でした。1984年のドラフト同期の和田豊、大野久、翌年入団の中野佐資の三人を吉田監督は殆ど起用する事がありませんでした。そのまま選手生命は終わるかと思われる危機に三人は見舞われます。1988年、吉田から受け継いだ村山監督は、手始めに田宮謙次郎にヘッドコーチを依頼します。日本一に貢献した外野手、弘田、長崎の引退、北村のトレードなどがあり、必然的に若手の出番となります。うがった見方をすれば、田宮コーチの同郷、あるいはお膝元の和田、大野、中野の出番が、この年から急激に増えだします。和田豊がレギュラーを掴んだのもこの年でした。

村山監督は、和田豊が、当時人気絶頂のアイドルグループ「少年隊」の一人、植草克秀に風貌がよく似ている事もあり、話題づくりにも事欠かないという思いで、大野、中野を加えた三人を「少年隊」と名づけます。中野の背番号は13→0に、翌年には大野も33→2と若い番号となります。そして村山監督は、キャンプでも三人の打撃投手を買って出ます。監督は、この時の無理がたたり、のちのちの股関節手術という事にまでなってしまいます。広島三連戦を三連敗でスタートした村山阪神は、最初の甲子園での巨人戦では、1番に大野、2番に和田、7番に中野を起用します。初戦は落としますが、2戦目は先発桑田を打ち崩し、第二次村山政権の初勝利を飾ります。

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この試合、2-2同点の五回裏、真弓敬遠の2死満塁から、中野佐資はプロ入り初打点となるセンター前へ桑田から勝ち越し打を決めます。六回裏にもライト前に2点打を放ち、初勝利を呼び込みます。試合後、会見場のプレスルームに歩む村山監督の目は既に赤く「中野がよく打ちましたね」の質問に「よう打ったね……。中野が打った時、涙が出てきたわ」と、ここまで話すと席を立ち、監督室に駆け込んで独りで涙を流していた事が翌日の記事となります。前から涙が似合う監督ではありました。この10年後、61歳の若さで亡くなられた村山監督の葬儀で号泣する中野佐資の顔がテレビカメラに映しだされました。

みなさんの中で、タイガースの長い球史で、全く打てない投手、顔も見たくない投手をあげるとしたら誰をあげるでしょうか?最近では、ヤクルトの館山、巨人の杉内、内海というところでしょうか。広島の大野や、横浜の三浦、中日の山本、ヤクルトの伊藤という名前も出てきますが、何と言っても「天敵」という言葉が一番ふさわしいのは、巨人の斎藤雅樹投手でしょう。彼以上の天敵はいなかっただろうと思います。彼の対阪神戦の成績は40勝14敗という、とてつもない勝率です。この14敗というのも新人の頃の4敗をのぞけば、ほとんどが接戦のきわどい負けでした。斎藤を早い回でKOした記憶が私には全くありません。この中には情けないことに聖地甲子園での11連敗という無惨な記録も含まれます。内角にストレートで追い込み、決まって次には外へのスライダーというパターンでありながらも、全く手も足も出せませんでした。ましてや、彼からホームランを打つ事など至難の業でした。阪神では、唯一、斎藤雅樹からホームランを三本打ったのは中野佐資ひとりだけです。二本打った桧山や大豊は引退間近の斎藤でした。しかし晩年といえど、阪神戦に限っては5連勝しての引退でしたから、斎藤から中野が打った3本は貴重なものでした。3本目のホームランがこの試合です。

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監督二年目を迎えた中村勝広は最下位からの飛躍を計るも、この年も勝率は3割5分を行ったり来たり、すでに最下位は99%決定という時期でした。まさに「暗黒時代」の真っ只中。それでもレフトスタンドは黄色に埋まっていました。四回にオマリーのスリーラン、五回に中野のソロ、六回に真弓のツーランと、不安定な制球を欠いた斎藤を見るのも久しぶりでしたが九回裏に出てきて三者凡退に抑えた田村勤のピッチングに、もしかすると来年は・・・と期待を膨らませ帰路についたのを思い出しました。この年は広島が、開幕早々、津田の離脱をバネに、佐々岡、大野、北別府、川口の投手陣が奮起し5年ぶりの優勝を手にします。あの強かった広島が一刻も早く帰って来て欲しいと願ってます。

中野佐資は、この翌年72試合、翌々年は5試合のみの一軍出場で、大幅に出場機会を減らし、ロッテとのトレードの話も流れ引退を余儀なくされます。ラッキーゾーンが取り外された事もひとつの要因でした。少年隊の一人、大野久は、この1991年、池田親興らと共にダイエーにトレードされますが、なんと130試合フル出場、打撃成績でもパリーグ7位、そして盗塁王のタイトルを獲得してしまいます。また少年隊の残る一人、和田豊は、レギュラーを掴み、毎年コンスタントに打ちまくり、1994年には、契約更改で初の阪神生え抜きでは始めての1億円プレイヤーとなります。

1995年1月4日、「しもだて勝虎会」の新年会が開かれ、和田豊選手が出席します。

IMG_0369和田の知名度、人気は茨城でも高く、いつもよりはるかに多いファンの出席をみます。主催者は正面の丸テーブルに和田を、和田の両隣りに田宮さんと中野を座らせます。和田と中野は久しぶりにもかかわらず、時たま、ボソボソと会話を交わすのですが、中野がかなり遠慮しているように傍目には見てとれます。かたや花形プレイヤー、かたや既に引退した選手と、格差はいかんともしがたいものでした。まして和田は現役の選手です。練習も既にあるでしょう、はやばやと、この日の主役は退席となります。和田選手目当てで東京から来たファンも多く、何人かはがっかりした顔を見せて出ていってしまいます。私は内心おだやかではありませんでした。このしらけた空気はどうなる事かとひたすら心配しちました。中野も、この場にいたたまれないような淋しげな表情が見てとれます。

その時、この会の主催者である、横井さんが壇上に上がりました。横井さんは曹洞宗、妙西寺のお坊さんで下館では常に田宮さんと行動を共にしてこられた方でした。横井さんはマイクを持つと唐突に話し出しました。

「みなさん、残念ながら和田選手はお帰りになりました。今の阪神は彼の活躍によって大きく順位が変わります。昨年は4位でしたが、今年こそAクラス、いや優勝してくれると信じています。さて、ここにおられる中野君の話をしたいと思います。この会が発足した時から中野君は、この新年会に来てくれました。現役の選手の時も必ず来てくれました。中野君がいかに好青年かは既に会場の皆さんはご承知と思いますが、彼をはぐくんできた彼のご両親がいかに、ご立派で素晴らしい方たちである事も皆様はご承知と思います。わたしたち、ファンとは一体なんなんでしょうか?華々しく活躍する野球選手もいつか引退を迎えます。そこで応援を終えるのも一向に構わないし当たり前だと思います。しかし、野球選手のほとんどは、やめた後に、新しい次の長い人生と戦っていかねばなりません。現役を離れても気持ちよく毎年顔を見せてくれる彼のこれからを応援していくのも、わたくし、そして多くの阪神ファンの誇りと思っています。今から、この会を、中野佐資君の激励会に変えたいと思います・・・」という言葉と同時に、いくつかのテーブルから「中野がんばれ!」「中野!大事なのはこれからだぞ!」「応援しているぞ!」という掛け声がかかります。そしていつのまにか会場は「中野!中野!」とナカノコールにかわります。この時に、こみ上げてきた高まりと感動と阪神ファンの暖かさは今も私は忘れる事が出来ません。

それから3年後、中野佐資ファンだった直木賞作家の江國香織さんは「ホリー・ガーデン」という小説で、「ナカノサトル」という、お人よしで憎めないステキな男性を主役として登場させます。余談ではありますが、江國さんがスコアラーを務める、作家、編集者を中心とする草野球チームの練習会に、中野選手は背番号ゼロをつけたユニフォームであらわれ、わかりやすい指導やノックをしてくれたそうです。

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2009年1月2日、東京ドームで行われたマスターリーグでは、中野選手は「東京ドリームス」の外野手としてフル出場。ドリームスは福岡ドンタクズ相手に9-8でサヨナラ勝ちします。この試合をライトスタンドで見ていた江國香織、晴子姉妹は、誰よりも動き、誰よりも走り、誰よりも真剣に守る、間近に見る中野選手のプレーに興奮しまくりだったそうです。大沢親分もサンデーモーニングで中野選手のファインプレーに「あっぱれ」をあげていましたね。

最後に私が見た試合の中で「中野をもっとも印象付けてくれた試合」がこの試合です。

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池田親興の2年5ケ月ぶりの完封勝利というのもありましたが、中野が五回に唯一打ったホームランでもぎ取った勝ちが何よりも嬉しかった試合でした。この年5試合めの勝利打点でした。この翌年にはファイトいっぱいの中野佐資を各球団は警戒し、しつこく内角を攻め、ぶつけにぶつけ、彼は17死球でセリーグ死球王となってしまいます。阪神伝統のサムライ魂を持った忘れられない選手の一人でした。


週刊虎バカクラブ
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12 コメント

  1. 中野佐資
    Posted 2013年1月26日 at 7:53 PM | Permalink

    よう覚えてますなぁ。

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