52話+53話 グラブの魔術師 鎌田実虎魂義士伝

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九回裏、1点リードした阪神は大ピンチを迎えます。一回表に、2番吉田の二塁打と4番藤本のタイムリーで先行しますが、その後の追加点が取れません。別所、伊藤、堀本のリレーに、チャンスさえ作れず、典型的なスミ1の試合で九回裏まで来てしまいます。巨人は二死満塁として、6番、左バッター坂崎を迎えます。

坂崎を知らない方は多いと思いますが、一時は長嶋、王とクリーンナップを形成していた浪華商出身の強打者です。20歳でもう既に主力でしたが、顔いっぱいのにきび跡にジャガイモ顔、素朴な受け答えが人気を呼びます。まだ高校生だった吉永小百合は、雑誌のインタビューに「理想の男性の一番手」として、ことあるごとにに坂崎一彦の名前をあげていました。

その坂崎がバッターボックスに入り1-1からの3球目、セカンドを守っていた鎌田実は、バッテリーのサインが内角カーブと見ると、小山がモーションをかけるや否や、凄い勢いで1,2塁間奥深くライトの守備位置近くまであとずさりし、坂崎のライナーをジャンプ一番スーパーキャッチします、と同時に阪神の勝利で試合は終わります。

呆然とする巨人ベンチでしたが、しばらくすると、左右の外野席を埋めた巨人ファンから、鎌田のプレーに拍手が起こります。試合後の記者の質問に鎌田は憮然としながら、「小山さんの制球力と球種、坂崎さんの打ち気、その前の2球の腰の開き具合、これを考えあわせれば、球はあそこにしか跳びません・・・プロとして、当たり前のプレーです」と平然として答えます。

1963年、阪神タイガースは戸沢一隆球団代表を団長として藤本監督以下30名がデトロイト・タイガースのフロリダキャンプに参加するために渡米します。練習試合ではありましたが、相手チームの一死1塁という局面で、ヒットエンドランを想定した鎌田は、すばやく一塁よりに動き、鋭いゴロを間一髪キャッチ、体勢が崩れる中で回転しながらサードに投げ、一塁ランナーを刺します。このプレーを見ていた、デトロイトタイガースのマイアット守備コーチは試合終了後に鎌田を呼び出し、「さっきのプレーこそ二塁手のプレーだ。こんなプレーを出来る日本選手がいたのに驚いたよ。バックトスというのを、本気でやって見る気はないかい?みんな驚くぞ。私が伝授しようじゃないか」と通訳を交えてオーバーな身振り手振りを交えて話し出します。

当時、日本のプロ野球で、バックハンドトスをした選手は何人かはいたのですが、この時、鎌田が本場アメリカで学んだものは、15m以上の距離でもスピードが全く落ちない精度の高いものでした。この鎌田が守る当時の阪神、内野の布陣はどうだったのでしょうか?鎌田が突出していても、ほかのメンバーが並では連携はうまくいきません。ところが、サードには「最後まで、三宅さんの守備を超えることは出来なかった」と長嶋に言わせた、鉄砲肩の三宅秀史が控え、そして、プロ野球史上、今も彼を超えるショートはいないといわれた吉田義男がショートを守っていました。当時の阪神は今も語り継がれる伝説の「黄金の内野トリオ」を形成していたのです。藤本定義監督をして、試合前のシートノックだけでも入場料が取れるわと言わせ、ここに「日本球界最強の鉄壁の内野陣」を構成します。

 

鎌田がバックトスをフロリダで習得したと同じ1963年、「大脱走」というアメリカ映画が日本で全国公開されます。高校生になった夏休み、私は新宿のミラノ座に見にいくのですが、話題になった主役スティーヴ・マックイーンのオートバイの脱走シーンよりも、捕虜収容所の独房に入れられ、そこで壁を相手にキャッチボールするマックイーンの孤独な姿が頭から離れませんでした。ドイツナチスは本当にグローブとボールだけは房内に持ち込みを許可したのか?そして、何よりもベースボールがアメリカの文化を形成し象徴であることの背景も見えてきます。

この「大脱走」が撮られる4年前には同じスタージェス監督の「荒野の七人」でスティーヴ・マックイーン、チャールズ・ブロンソン、ジェームス・コバーンは既に共演しています。この三人は、この映画を契機にスターダムへの階段を上って行きますが、特に日本では、ブロンソンが「マンダム」、コバーンが「ラーク」のCMで話題をさらいます。「ルパン三世」に出てくる次元大介のモデルがジェームス・コバーンと言われていますが、役柄としては、見た目のスレンダーなダンディーさよりも、職人の匂いがする、いぶし銀漂う、そんな役の方が多かったようです。妻夫木聡と松山ケンイチで映画化された「マイ・バック・ページ」(河出書房新社)の作者、川本三郎は、「シネ・アルバム~ジェームス・コバーン」(芳賀書店)の中で、こんな事を書いています。

ジェームス・コバーンといえばどうしたって「荒野の七人」のナイフ使いだ。このデビューからしてそもそも普通のヒーローと違っていた。セリフはほとんどなし。拳銃やライフルよりもナイフを使いこなすというのも曲者である。ホームラン・バッターとか打率のいい巧者というより、ここぞという時に三塁打を打てる曲者である。野球でいえば阪神にいた鎌田実を思い出す。

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これこそが「鎌田の三塁打」で勝負を決めた試合です。先発、村山と堀内が投げ合う息詰るような試合も、村山は七回で降板、後を弟分の江夏に託します。延長十二回表、先頭バッター池田の三塁ゴロを長嶋がトンネル。続くカークランドが送ったところで、堀内の第一球を鎌田は思い切り引っ張り、球は左中間を抜け、三塁打となりついに均衡を破ります。巨人は、八回裏無死満塁、十二回裏も無死一三塁と攻めますが、村山と江夏の力投に抑えられます。この試合が、今も忘れられない試合のひとつとなったのは、村山と江夏の真剣な気迫あふれる熱投があったからでした。

学生という甘えた身の中で、未来の展望が全く見えず、まさに大学闘争の挫折感が体中を覆い、気も苦るわんばかりの毎日でした。バイトを休み、気晴らしに後楽園へ出かけたのがこの試合でした。この時、巨人は日本シリーズV5で無敵の強さを誇っていました。この試合は村山監督1年目、勝てば優勝の射程圏に、負ければ引き離されるという瀬戸際の首位攻防戦でした。何よりも村山と江夏が見せてくれた「絶対勝つ!」という気迫は並々ならぬものでした。

後楽園全体が、まさに巨大な権力の巣窟のように見え、また、それに立ち向かう阪神は虚弱な集団に写ったのですが、どっこい阪神のサムライ集団は、たいした武器も持たずに非力ながら戦うのです。必死に戦うのです。阪神が勝った瞬間、隣のオヤジさんと抱き合いました。オヤジさんは涙を必死にこらえているのがわかります。

この試合は、私自身の転機ともなりました。この試合がきっかけで、少しづつ立ち直る事が出来ました。自堕落な生活にわかれを告げると同時に、この阪神というチームを、どんな事になろうと、一生応援して行こうと心に刻んだ試合でもありました。本気で応援しだしたのは、この試合からだと思います。

 

守備の職人、鎌田実のバッティングは、どうだったのでしょうか?優勝した1963年は、打率2割に到達しなかったものの、鎌田は「影のMVP」ともいわれました。彼は1番吉田が塁に出ると、どんな形でも送るという徹底ぶりと自己犠牲はまさに守備を上回る評価を受けました。少々高めの球でもバットに当てて転がし吉田を進塁させる。バットを握る時にグリップを斜めにし人指し指を伸ばしてバットと空きを作る。これならば必ず球に当たるという自ら考えた鎌田理論でした。

当時の阪神は1点取れば、右の両輪、小山、村山が抑えて勝てるというものでした。頭の上までが鎌田のストライクゾーンでした。また変則な、人読んで「大根切り打法」とも言われ、内角は流し、外角は引っ張るというようなバッターでした。しかし、生涯1000本以上安打を打っているわけで、ボール打ちをなくせば、もっと打率はあがったかもしれないのですが、これがまた鎌田の魅力でもありました。

 

鎌田は、1966年、若返り策という名目で自由契約となり、近鉄に移籍します。近鉄の監督は魔術師といわれた三原監督でしたが、鎌田のバックトスを禁止します。理由のひとつは「近鉄には彼のプレーについていけるレベルの内野手がいなかった」というのが三原の回顧録に書かれています。

近鉄で三年間は9割がた試合に出場しますが、ここでもまた彼はとんでもないプレーをします。日生球場の阪急戦で三塁を守っていた時の事です。阪急は無死一塁に森本をおき、バッター長池は三遊間にゴロを打ちます。鎌田はショート寄りに走り、このゴロを片手で捕った瞬間、体がダッシュのついた勢いで完全に左中間方向に後ろ向きになり、捕手からみると背番号がはっきり見えるかたちとなります。この時、なんと鎌田は、20メートル離れたセカンドへバックトスをします。球は一本の線を描いて、セカンド飯田のグローブに吸い込まれ、ファーストもアウトとなりダブルプレーが完成します。この時の三塁から二塁へのバックトスは、日本ではもちろん、メジャーでもかつてなかった、プロ野球史上初のプレーでした。

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1970年、鎌田は阪神に再び戻ってきますが、時の戸沢球団社長に「お前の技術は誰もが認めている。だから余り理屈をいうな」と言われ、再契約を済ませると、その足で甲子園球場に向かいます。そこで内野コーチになっていた三宅秀史と顔をあわせると、もうからみだします。「三宅さん、二塁の守備位置の芝生、あれ60、いや70センチ、すぐに刈り取って下さい。今のこの状態はマットレスの上で野球をしているのと同じですよ・・・俺が三年間、眼を離すと、すぐこれだから・・・」

鎌田は、寡黙で口数少なく黙々と仕事をこなす典型的な職人気質であった為、周りからは、変人、奇人、偏屈と見られ、その上、協調性がなく理屈をこねまわす、首脳陣にとっては本当に扱いづらい選手だったようです。同じ実の名前を持つ村山実政権の時はコーチとして手腕をふるいますが、途中交代の金田正泰監督とはソリが合わず退団してしまいます。そして、鎌田はサンテレビで野球解説をする事となります。関東でも1974年からテレビ神奈川(現tvk)、千葉テレビ(現チバテレビ)のUHF局が、サンテレビを介して頻繁に阪神戦を放映するようになった時期でした。甲子園からの中継は、解説は後藤次男か鎌田実の二人でしたが、二人の解説は対照的でした。アナウンサーの質問に、技術論など全く無く、ほとんどうなずくだけのクマさんこと後藤次男、一方、アナウンサーの言葉をさえぎり、しゃべりだしたら止まらないのが鎌田実でした。それにもまして独特の「鎌田理論」をふりかざし、周りを煙に巻きます。

 

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この試合は、デーゲームだったと思います。中継録画で千葉テレビが6時から放映したと思います。この試合、大洋の先発は高橋重行。なにしろ、ストレートと大きなカーブ、そして、自称「時速30km」のスローボールのたった3種類だけを駆使してのピッチング。阪神は一回裏の先行機を逃がすと、二回から六回まで三者凡退を繰り返します。江本も好投を続けるのですが、六回表、高木由のタイムリーで先行されてしまいます。

0-1で迎えた七回裏、サンテレビの西澤アナウンサーが「鎌田さん、何か打開策はありますか?」と尋ねます。もし、後藤さんが解説ならば「阪神は1点取って追いつく事ですね、ヘーへー!」というような、あたりまえの言葉が返ってくるのは明確です。しかし、鎌田は、このとき平然と言い放った言葉があまりにも強烈でした。なんと鎌田は「阪神はもう1点取られて2点差になれば、勝機が来るでしょう!」と自信あふれる声で解説します。結局、大洋は追加点を取らず、そのまま、高橋に阪神は完封されてしまいます。裏づけがあっての鎌田理論です。鎌田理論から見れば、八回か九回に阪神は3点取れるという確信で言ったという事になります。私なんぞ、完全な鎌田信者でしたから、「あと1点取られれば勝てたのに・・・」と本気で試合後に思ったものでした。鎌田は「なにか流れをかえれば、勝機が来る」という論理からきたものだと思いながらも、その日の藤田、中村、掛布、ラインバック、田淵、ブリーデン、池辺、佐野というオーダーを見れば、期待は十分で、必ず応えてくれる破壊力を持っていたのは確かでした。鎌田さんも私もただの「打ってくれるはず」という、ただの願望だったのかもしれません。

ピッチャーからフロント入りし、広報部長となった本間さんが、「月刊タイガース」に連載していた本間勝交遊録には、こんな事が書かれていました。「鎌さんで一番びっくりさせられたの物凄く雄弁になったこと、解説者としてマイクの前に座ると、現役時代では考えられないほどよくしゃべる。あまりの変化に『何で、そんなに喋るようになったの・・・』とたずねてみると、その答えが奮っていた。『こういうこともあろうと思って解説者になるまで喋るのをとっといたんや』といわれ大笑いしたものだ」

鎌田実は洲本高校から慶応大学進学のつもりが、中日の佐川スカウトから入団交渉を受け内定し慶応を断念、しかし佐川スカウトが中日を突然解雇されて阪神に移籍したことにより「何がなんだかわからないうちに」阪神に入団します。巨人は鎌田のショートの守備を買って、当時の広岡をセカンドにまわし、鉄壁の二遊間を作ろうと画策、時の川上監督は、トレードを阪神に何回か申し込むが拒否されたといいます。「管理野球」になじめなかった男たち。彼らこそ、かつての「阪神タイガースサムライ野球」の伝説を作ってきた男たちでした


週刊虎バカクラブ
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11 コメント

  1. 西田辺 さんのアバター 西田辺
    Posted 2013年2月11日 at 11:20 AM | Permalink

    私の場合、鎌田さんの生の記憶と言うのは選手のものは勿論無く、解説者の記憶しかありませんが、関西で言う「へんこ(偏屈者)」で「理屈こき」の
    氏の解説は大好きでした。(と言う私もかなり「へんこ」かな?)
    今でも、「過去のタイガースを生で見れたら」の妄想の中で、確実に三宅・吉田・鎌田の内野陣は入ってきます。
    いつかまた、こんな「へんこ」な守備職人が出る事を期待したいですね。

    • ライム
      Posted 2013年2月13日 at 12:24 AM | Permalink

      西田辺さん、阪神には名前が「実」とつく選手が4人在籍しました。戦前、広島商からのは入団の山根実、そして村山実、もう一人が柿本実です。柿本は鎌田と違って多弁でひょうきんで、また人を食った言動はチームでも人気者でした。鎌田も人を食った行動で、まー似ていて異なものですかね。鎌田が近鉄に行って戻ってくる三年間、背番号41番は柿本実がつけていました。どうでもいいことですが、江夏豊、池内豊、和田豊と途切れない名前の年数では1位と2位です。豊は大野と福本もダブりますが補佐しています。今年もよろしく!

  2. Posted 2013年2月14日 at 8:54 PM | Permalink

    いつも楽しく拝読しています。
    鎌田実さんといえば、私も残念ながら現役時代のお姿はみたことがありませんが、父が繰り返し「鉄壁の内野陣」と誇らしげに語っていたのを思い出します。

    確かサンテレビで「鎌田実の少年野球教室」という番組があって、鎌田さんが子供達に「腰を落として体の正面で捕球する」ことの大切さを繰り返し指導されていたのをよく覚えています。

    個人的には大和に内野を守ってもらいたいのですが、どうなんでしょうね。

  3. ライム
    Posted 2013年2月15日 at 12:51 AM | Permalink

    ドナウさん、今晩は(こちらは、今、12時なので・・・)。ハンガリーの空は晴れていますか?「赤・白・緑 ハンガリー」のブログ、いつも拝見させて頂いております。ところで、桑野議さんのファンだったのですね。私も、あのバッティングフォーム、赤ら顔のテレたしぐさ、打ち出したら手がつけられない、数試合連続で、タイムリーを量産した事がありましたね。特に、関東三球場では、レフトを守っていた為、関西より人気は高かったと思います。特にちびっこファンに人気がありました。
     昔、阪神の宿舎が淡路町のグリーンホテルにあった頃、球場入り前の送迎バスの前で色紙を持ったファンがとりまくのですが(といっても、ほんとうに、当時はわずかなファンです。まだ売れていなかった西田敏行なんかもいましたよ)、その中に、桑野の追っかけの女の子がいました。その子は、母親とよく、レフトスタンドで一緒に応援していた子だったのですが・・・少したって、風のうわさで彼女は「桑野の嫁さんになった」という話が伝わってきました。真実は分かりませんが・・・。実をいうと、桑野の話を書く予定だったのです。
     「ドナウ猛虎会通信」毎週、楽しく読まさせていただいているのですが、一冊の本にして欲しいと、常々思っているのでございます。話が終わらないので、もうやめますが、こちらに帰ってきたときは甲子園とかに行かれのですか?関東での試合を是非、ご一緒に見たいですね。

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