facebookへの過大な期待

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(野球とも虎とも関係ありませんが、気まぐれに書いたものをアップいたします)
「実名のリスク」。日本でのfacebook普及の障壁だと言われている。言われているだけではなく、私もそう感じていた。


日本でサービス開始してもう数年になる。私も前に少しだけ試してみて、その時はやっぱり実名を晒すことで腰が引けた。
個人情報は隠すものであり、晒すものではない。自分の考え、発言、行動を公開するだなんて、まったく検討の余地もないと思った。
でも考えてみれば、個人情報に敏感になったのは、それほど昔の話ではない。私自身、十数年前くらいまではまったく違う考えを持っていた。
当時参加していた阪神ファンのメーリングリストでは、実名投稿が規則だった。交流が目的なのでそれは当然だと思っていた。
そのルールを破って、まるでテロのような中傷発言をするヤツが時々現れた。はらわたが煮えくり返る思いだったのを鮮明に憶えている。
初めてのコミュニティでは、挨拶と自己紹介から始めて少しずつ馴染もう。社会の常識に従って行動しよう。当時普通の考え方だった。
しかし一般常識の方が変化した。個人情報は保護されるべきものになり、ネットで本名を明かすことの方がどちらかというと非常識になった。
するといつしか匿名の暴力的発言までもが常識になってしまった。どんなに腹立だしくても「スルー」が大人の対応ということになった。
思いやりのかけらもなく人を傷つけるような言葉に見慣れてしまう。感覚の鈍化というのは恐ろしいことだと思う。
しかしもっと恐ろしいのは、ネットの常識が実社会の常識に跳ね返ってきていることだ。信用できず、悪意に満ちた社会を受け入れていることだ。
だから、あらためて自分の五感を働かせたい。誹謗中傷、事実無根の噂話、汚い金儲けが横行し、悪意が満ちている「常識」を疑いたい。
個人情報保護の行き過ぎも疑いたい。個人の尊重とは、その人を知った上で思いやることだという常識を取り戻したい。
懐古趣味かも知れないが、気軽な交流があることで人間がずいぶん生き易くなることを私たちは体験として知っている。
うがった見方をすれば、人間関係を希薄にして、孤立させておくことでようやく採算が取れているのが現代社会なのかも知れない。
他人は信用も信頼もできない。頼れない。それを前提に商品もサービスも(仕組みも情報も制度も…)大量に提供され、大量に消費される。
同時にストレス、健康被害、犯罪などとにかくネガティブな問題が生まれ、それがまた「人間関係希薄化」のサイクルに拍車をかける。
ワクワクするものだったはずのバーチャルリアリティが、結果的に実社会に暗い影を落としてしまっているように感じるのだ。
ひょっとしたらfacebookには、それを変えていく力があるのではなかろうか。少しずつ、あるいは爆発的に。
否定的・破滅的な行動を抑制し、信頼や助け合いといった善意が常識の人間関係を広げて、肯定的・建設的なサイクルを生み出す何か。
今再びfacebookを試し、旧友と巡り会ったり、新しい友人とやや深い交流を楽しみながら、ぼんやりそんなことを考えている。

コメント

  1. ぼん より:

    ぼんでございます。おひさしぶりです。
    遠い昔の阪神ML。阪神もちょー弱くて、ファン同士で慰め励まし合う日々でしたね。
    イタリアに行ったときに親切にしてもらったレストランのお兄ちゃんにメールアドレス教えてと言ったら、facebookやってないのって聞かれて、知らなくて、あとでだんなさんに教えてもらって、文化が違うんだなあと実感した思い出あります。欧米では実名が常識なんですよね。
    旅に行くと人に助けてもらったり、話をしたり、友達になったりすることが多くて、人との出会いとか関係を築くことの大切さを知ります。なのでtoraoさんと同じようなことよく考えいます。このブログを読んでちょっと安心しました。きっかけをありがとう。

  2. スーパーエリーバ より:

     こういう番外編、いいですね。
    こっちの方がトラオさんらしいかな(笑)。
     悪徳ダイレクトメールに迷惑メールやストーカー問題。
    個人情報を保護しなければならない現代社会が悲しいですね。
    そのうち電話帳なんて作らなくなるかもしれません(笑)。
    確かに、ここ数十年で、激しく変わりましたよね。
    今では信じられないですが、昔の選手名鑑には、選手の住所が記載されていました。
    これだけでも激しく変化した事が解りますよね。
    私も個人情報の過保護が気に成ってます。
    このせいで、年賀状も減っているそうですね。
    人と人との繋がりが稀薄になるのは寂しいですが、情報を悪用する犯罪が有る限り、難しい問題ですね。