すっかり来季に関心が移ってきた昨今だが、日本シリーズ本日開幕。
今年は2009年だから、00年代最後の年ということになる。00年代の日本シリーズ出場回数(カッコ内は日本一の回数)を並べてみる。
読売 4 (2)
西武 3 (2)
中日 3 (1)
日ハ 3 (1)
ダイ 2 (1)
阪神 2 (0)
ヤク 1 (1)
ロテ 1 (1)
近鉄 1 (0)
なるほどねぇ。この日本シリーズでGが勝てば、文句なしで00年代はGの10年ってことになる。Fが勝てばLとタイになるから、G&L&Fの10年か(間違ったので訂正)。タイガースも近年では立派な黄金期だったと言えるけれど、「プロ野球史の記録」はそう語ってはくれないのかもね。
ついでに90年代と80年代もやってみようっと。
90年代
西武 7 (3)
ヤク 4 (3)
読売 3 (1)
オリ 2 (1)
横浜 1 (1)
ダイ 1 (1)
中日 1 (0)
広島 1 (0)
80年代
西武 6 (5)
読売 4 (2)
広島 3 (2)
近鉄 2 (0)
中日 2 (0)
阪神 1 (1)
日ハ 1 (0)
阪急 1 (0)
こうやってあらためて見てみると、西武ライオンズってエライもんだねぇ、今さら言うのもなんだけど。よく「西武野球とは何か」って話になると、走塁だとか守備だとか、1点を奪う抜け目なさなんて言うんだけれど、そんな簡単な話じゃない。確かに「抜け目なさ」ではあるけれど、グラウンド外での編成、スカウト、囲い込みから始まって、情報分析からブラッシュボールに至るまで、清濁合わせ飲むのはもちろんのこと、剛球クセ球小技に一発、ありとあらゆる勝利のノウハウを突き詰めたんだろう。それが時を経て、12球団に伝わったり伝わらなかったり、広まったり広まらなかったりしながら、とにかくそれが「日本野球」という大きな影響力を持って、今もこうして切磋琢磨している。
そして、こうして見ると「日本シリーズ近代史」において阪神タイガースのなんと存在感のないことか。突出せよとは思わないし言うつもりもないが、10年に一度くらいは日本一になったってバチがあたることはないだろう。来るべき「10年代」、記憶だけじゃなくて記録にも名を残すチームになって欲しいと思う。
コメント
面白いデータですねぇー。
やはりtoraoさんも『70年代』のデータは「見たくない!」ようですね(笑)。私も見たくないです。
こうして見ると、90年代のヤクルトて凄いんですね?!まさに野村ID野球効果でしょうか。
今日は、その『ノムさんのクール解説』(古っ)が楽しみですね?。野村スコープやってくれへんかな(笑)
当時の私は、これがめちゃ楽しみでした。
ノムさんの言う事が、ズバズバと的中するので、感心させられた覚えが有ります。来期は解説時々出て欲しいですね。
へー、そうなんだー。と 03年以前のプロ野球を知らないので興味深く見ました。
そういや、菊池くんは91年生まれ。90年代の西武を知ってるのかな。今ほどパがマスコミに取り上げられていなかった時代かな。
toraoさんのデータは確かに面白いです。
12球団のその時その時の「勢い」を示しています。もし観客動員数を同じ時間軸で統計を出せば、全く別の姿が浮び上がりそうな気がします。因みに小生のパスワードの中に、6264850305●●●●●というのがあります。●の部分は当然非公開ですが、数字が何を表しているか、トラファンならお分かりいただけると思います。
十年スパンで見ると90年代のセは確かにSは強かった。それでも我らがタイガースを除いて他の5球団がリーグ制覇という群雄割拠状態だったんですね。
ふと、目を瞑れば甦る暗黒トホホ時代。未だに八木コーチの幻のHRが忘れられません。
来季2010の10年代のスタートは頂いちゃいましょうね!!
> yalkeysさん
●は私的には10111213・・・以下略。
ですが? 何か問題でもありますでしょうか?
90年代と00年代で阪神電鉄内における球団の位置付けが大きく変わったことがあげられると思います。それこそ90年代は毎年のように身売り説が流れて、電鉄幹部でさえも球団に対するネガティブ発言を繰り返していました。球団の営業収支の数字しか目に入らなかった単細胞なオツムの重役さんばかりだったのでしょう。
00年代に入って何が変わったか?
電鉄内におけるタイガースの「イコン」としての社会的価値の大きさに石頭揃いの役員連中が、やっと気付いたことでしょう。営業収支に表れない計り知れない価値を思えば収支トントンでも御の字なのに、ましてや近年では営業黒字も出せるようになったタイガース球団は他企業も羨む出来た孝行息子じゃないですか。もっとお小遣いを奮発してあげなければ。
2回目のコメントで恐縮です。
「狐・狸専用の席にイノシシが座っていた」と書けば何のことやらと思われるでしょうが、5位指名藤川君のことです。
西部が菊池君を引き当て菊池君以外で3番目に指名予定の藤川君が「4位以下なら東邦ガス就職」という約束の下、玉突き的に3位までの指名がなく涙の退席→5位で阪神が強行指名→「4位以下なら行かないと通達してるのに・・・」「他の3チームからは事情により指名できなかったと連絡があった」との監督の発言あり・・・というのが今回のドラフト5位問題の真相のようです。
普通は指名確定まで本人待機、強行指名には「家族や監督と相談して慎重に決めたい」と言わせ、企業やプロ、大学に迷惑のかからない対応をするところ監督が本来オープンにすべきで無い大人の事情を元締めの張本人が「大人の対応が出来ない」ことで本人を奥に引っ込めたまま泥仕合を始めてしまったようです。
ドラフトが具体化する前の報道では彼の「プロ希望」は明確だったワケで、こんなことで藤川が関係者の思惑に抗いきれずプロ断念とか、入団しても近大の阪神スカウトお断りとか関係悪化の元になったりしないか(「五反田の男」の件のように)、世間の風評が余りに阪神と藤川に的外れで不条理なんで書き込んでしまいました。> 何とかなりませんか?近大に顔の利く偉い人。
裏にどんな事情があろうと、選手の方で、おれはドラフト何位なんて要求するのが間違ってる。これは一番悪く解釈すると、契約金が少なくなるのを釣り上げようということになるか。こんな奴あるいはその取り巻きは最低だから、頭下げて、入ってもらう必要なし。こちらからお断りしてもらいたい。
80?90年代の西武の強さたるや羨ましいと言うより、何か別次元のモノを
見てるような錯覚に陥りました。
寝業師根本氏が暗躍し、広岡・森氏が磐石の態勢を築き、石毛・秋山・清原・デストラーデ等の
打撃陣。
工藤・渡辺・郭等の投手陣。
脇役たちの質も高かった。
裏の部分は兎も角、WBCで見せた日本野球の原点が、西武野球だったと言っても過言ではないでしょうね。
「プロ志望」を出してるんですからね。
一般社会の就職とは単純に比較できませんが、あえて言えば「ワガママが過ぎる」。
ド素人意見で恐縮ですが、ドラフトが終わってから就職活動できませんか? これほどの、プロが注目する選手なら、たとえドラフトにかからなかったとしても、ドラフト後でも社会人野球で採ってもらえるんじゃないでしょうか? たとえば二神や藤原選手なんかは、保険としてどこかの社会人と約束してるのでしょうか?
藤川選手の場合、自信がないから保険として社会人野球と約束してると思うのですが、そのわりには3位以上を希望するとは・・・。なんか、考え方が矛盾してませんかね?
と言いつつ、入団してもらいたいんですけどね。僕も矛盾してますかね・・・?
黄金時代とは…約5年に亘って毎年優勝を争う「天下取り」状態をさすのではないか。
先に広島、やや遅れてヤクルトは黄金期を語り得ると思う。パでは西武は云うまでもないが、古くは南海、西鉄、阪急が各々の時代を作った。黄金期無きチームの列挙は省略する。
最近、某有力選手の入団が報ぜられると、会社員の人事異動談義のように、その波及を取越し苦労する声が私の周囲にもある。
「タ軍」には、ともかく貪欲に「天下取り」を目指して頂きたい。名著「背番号への愛着」のル・サンチマンに酔うのは、その後の話では。
西武ライオンズ!確か1978(昭和53)年シーズン後に、クラウンライターライオンズの活動終了を待って正式に誕生。本拠地、福岡・平和台球場から埼玉所沢の新設半地下球場・西武球場(現西武ドーム)に移転。初キャンプは前球団の長崎・島原からアメリカへ。国内でのオープン戦0で開幕に臨むなど話題作り(?)も。
我らが阪神タイガース、球団史上初の最下位に沈んだ悪夢のシーズン(T^T)オフに田淵、古沢⇔真弓、竹之内、若菜、竹田の4対2の大型トレードを新球団、西武ライオンズ相手に。
例年のストーブリーグなら充分な話題だったと思うが、江川問題『空白の一日』に関心は集中( ̄◇ ̄;)讀賣はドラフト会議ボイコット(‘∇’)西武は指名漏れの松沼兄弟を、あの讀賣とのタイマンを制し獲得!『讀賣相手に金で負けない球団ができた』と世間を驚愕させる。
球団初年度の1979(昭和54)年、前年初の日本一に輝いたヤクルトスワローズとともに開幕10連敗スタート?前後期ともに最下位に?三年目、1981(昭和56)年の前期まで最下位争いを繰り広げるも、後期突如として優勝争いに参戦!翌年、プレーオフを制し日本シリーズ進出、4?2で中日を下し四年目で日本一に!『四年目の球団が日本一になるのに、なんで阪神は優勝できないんだ』と嘆いたことがついこの間のような気も(>_<)