USJのクリスマスツリー点灯式に、金本がゲスト出演したとか。パパ、ママ世代にも、子供たちにも人気があり、好感度No.1のアニキには、こんな「小仕事オファー」が殺到していること間違いなし。厳選した一つがこれだったのだろう。
記事中、金本を招いたオフのことが書かれていた。「電鉄本社の金庫の扉が初めて開いた」と言われた出来事、星野監督が久万オーナーに対して、補強に金をかけることを説いたこと。前日と同じ趣旨のことになってしまうが、今、こうして当たり前のように見ている球団の姿が、わずか3?4年前には考えられなかったものであることを改めて思い出し、書き留めておきたくなった。イージーカム・イージーゴー。未来永劫続きそうな栄光も、3?4年で失うことだってあるということへの警鐘も含めて。
85年、「21年ぶり優勝&日本一」で関西は沸き返った。就任1年目でこれを経験してしまった久万オーナーはツイていたのか、いなかったのか。翌年以降あれよあれよと弱くなっていくチームに対して、伝統的な「ケチケチ路線」を改めることはなかった。少しずつしぼんでいるが、優勝で盛り上がった人気は健在。収入は微減、チームが弱ければ選手年俸カットで利益は増える。これまで赤字を出してきた球団がようやく電鉄に利益をもたらしてくれる存在になり、内心はシメシメだったのかも知れない。
阪神電鉄は、もともと地元の名士が寄り合って作った基盤の弱い会社。鉄道という公共性の高さから、割の良い商売ができるわけでもない。地域密着、堅実経営の小さな会社だった。地域への貢献から甲子園球場を作り、その縁で球団を持ったものの、常に身売りが囁かれるような会社だった。
推測では、バブル期の地価高騰と85年のタイガース優勝のおかげで阪神電鉄は今日の繁栄の礎を築いたのではないか。他者が投機に走る中、堅実経営と豊富な不動産、タイガースのブランドイメージを活用しながら、「目立たないように」貯め込んでいったのだろう。それでも表向きはあくまでも儲かってないと言い続けながら。
そこに現れたのが星野仙一監督。ジャイアンツだけが何をやっても良いという球界に我慢がならない。それに対抗しうるタイガース経営者のやる気のなさが気に入らない。
年長者に訴えかける能力はピカイチ。加えて星野監督にはビジョンがある、情熱がある。かくして久万オーナーは、星野監督の若い熱にあてられながら、「そこまで言うのならやってみなはれ」ということになり、それまではどちらかといえば吸い上げる一方だった電鉄から、考えられない額の補強費を注ぎ込んだ。金本が来た、伊良部が来た、外部コーチが来た…。そして、チームは独走、盛り上がる関西、球団公認商品が街にあふれかえり、球場には人の波、支出を遙かに上回る売り上げを呼ぶ。
星野監督のビジョンを球団経営側からサポートしたのが野崎社長。ふるい落とされまいと星野に必死でついていった。こうして、出すものは出す、得るものは得るという高循環型の球団経営に切り替え、現在がある。その代償とも言える不正支出のため、久万、野崎は表舞台からは去ることになったが、それぞれ直系の後輩、手塚オーナー、牧田球団社長が後をしっかり継いでいる。SDとして自由な「隠居暮らし」を楽しんでいるかに見える星野氏にしても、もしまたやる気のない経営をすれば、ギャンと噛みつく気は満々だろう。
そしてもう一つ。電鉄の金庫を開けて、高循環型経営に踏み出したことで、「堅実貯め込み政策」と、「もっともっと出来るはずだ」という現実までオープンになり、これまでなら不要であった電鉄本社の企業防衛策が必要になった。いや、それに気づくのが遅すぎたと言った方が正しい。
そういえば、ここしばらく静かすぎるなぁ。村上ファンド…。
コメント
あらためて書くのも野暮だけれど、ここまで来れば社会評論ですね!
頷けることばかり!
十年選手制最初の適用者だった田宮氏の移籍もあと僅かの上乗せで解決出来ると紙上では読めた。他球団の提示はもっともっと高額だったようだが虎への愛着が強い彼は少しだけ面子を立てて欲しいだけだったようだ。
まさしくケチ虎の時代です。
>もともと地元の名士が寄り合って・・・現在は阪急沿線が高級地なのだが、阪神創立時はその沿線に船場の老舗の別宅が多くあった。鴻池家、淀屋などの豪商も江戸の紀文、奈良茂などと違って慎ましい日常だったようです。ここにもケチ精神が窺われる。
野村氏も補強の大事さを訴えたようだが、星野氏に手柄を横取りされた風で少しばかり気の毒です。
星野フォロワーの野崎社長を得たことも、星野さんには幸いしていたのでしょう。星野イズムのよき理解者であり、実践者であり、パイプ役に腐心されたことは十分に想像できる。今、それは野崎フォロワーの牧田社長にも引き継がれていることでしょう。
ただ、星野氏のタイガースにおける役割という点で言うと、その役目を終えつつあるのかもしれない。少なくとも、”村上ファンド”問題が片付く前に、自ら投げ出す大将でありませんから、きちんと問題解決を見た後、静かにタイガースを去っていくことになるのではと思っています。それはファンや球団が彼を排斥するということではなく、野球選手がいずれバットを置くように。それで、きっと星野氏は、寂しくとも、悲しまないと思う。タイガースファンは星野氏への恩義を、これからもずっと語り継いでいくはずだから。
などと言ってたら「村上ファンド、新日本無線に敵対的TOB」だって。こっちはどんな感じなのかな?
to 森 無礼さま
>十年選手制最初の適用者だった田宮氏の移籍
ああ、そうか、そんなこともあったんでしたね。井川の話の時、必ず出てくる田宮氏にも歴史ありです。
>阪神創立時はその沿線に船場の老舗の別宅が多くあった
へえ、海沿いの工業地帯発達後は、下町という印象がある阪神沿線ですが、そいうう歴史もあったんですね。
to いわほーさま
>タイガースファンは星野氏への恩義を、これからもずっと語り継いでいくはずだから
あんまり派手に去られてしまうと、いつもの「可愛さ余って…」になってしまうので、あくまでもそっと…ね(笑)。
私は、星野さんには、ケチンボ親父に金を出させたイメージよりも、選手から「いっしょに野球をやりたい」と思わせる「情熱」というか、「男の魅力」と、「人を見る目」の確かさ、「粛清」をする思い切りの方が印象に残っています。
清原の最初のFA時、江藤のFA時にだって、オファーはした。
「うん」と言えば、その時だって(一人分だけかもしれないが)金を出しただろう。
でも、選手が来てくれなかった。
星野さんになってから、大物をFAで獲得できるようになった。
しかも金本の時には、「入団時に新庄は坪井の守備固めでもよい」とまで言わしめた、はえぬきの坪井を(山田、伊達と共に)放出して席を空けた。
そのとき来た選手が、野口、下柳、中村豊だから、この人選も凄い。
「しみったれ」を言い訳に「ぬるまゆ」だった阪神を、
イキイキとした、全国的に魅力的なチームに変えた功労者ですね。
でも星野さんは、いずれまた、どこかの監督をやるんじゃないかな?
最初は「岡田阪神」を遠くから見守っていても、
阪神がこの先本当に強くなれば、今度は打倒「阪神」をしたくなるだろうから。
星野SDが球団内の仕事でもっとも適任かつ力量を発揮できるのは、「スカウト・編成部門」だと思う。かつて西武、ダイエーで腕を振るわれた根本さんに勝るとも劣らないはずだ。(SDがそこに収まるはずはありませんでしょうけど。)
土曜日のファン感行ってきました!
江夏が投げ、田淵が受ける、金本が打つ、掛布が打つ。涙がこぼれそうでした。
福間投手なかなかいい球投げてました。さすが大阪ロマンズの現役選手。
日曜日は、静岡で途中下車して草薙球場へ。
阪神・巨人OB戦を観てきました。
投手:山本重→小山→若生→山本和→工藤→中田良→湯舟→麦倉
野手:(二)中村勝広(中)加藤博一(三)掛布(一)田淵(右)真弓(DH)若菜(左)長崎(遊)吉田剛(捕)辻恭彦
ちょっとウロ覚えですが、こんな感じのオーダー。
巨人は、高田、土井、中畑、王、張本、原、山本功、吉村、吉田孝、みたいな感じ。
ランナー1,3塁、打者掛布の場面では江川登場。
掛布は見事に三遊間まっぷたつ!同点タイムリー!!
亀山が2安打で敢闘賞もらいました。
亀新コンビの頃が思い出せないほどの巨体で打って走って、ぜーぜーはーはーしてました。
試合前の一打席勝負では、新浦×植松の静岡対決とかもありました。
試合は7×8で負けましたが、たのしい一日でした。
Qたろーさんのコメントを拝見して、麦倉投手の名前を発見しました。
懐かしくなって思わず書き出したのだけど、将来を期待されていながら短い選手生活だった記憶しか浮かんでこないのが残念です。
げんまつWEBさんで調べたけれどいつの時代だったか判らなかった。
石床氏、源五郎丸氏、など表舞台で輝けずに終わった人々の無念さが今更ながら脳裏を駆けめぐります。
ふとしたご縁で知り合った人に西村公一氏がいる。‘66は何故かドラフトが二度行われて、その一位は二人いるのです。一次はご存じ江夏豊氏で二次はその西村氏なんです。5球団競合で甲府から入った彼は二軍でHR王にもなり期待されたが故障で夢が潰えた。兄に西村一孔氏がいて崩壊に近い虎を小山正明氏と共に支え’55の新人王です。(60試合22勝17敗)
ちなみに公一氏はプロゴルファーに転身も今はどうしているのか?
しかし、飛距離は凄かった!
短い野球人生でも虎を支えたことに変わりなく、忘れ得ぬ人々です。
麦倉投手、私もうっすらしか覚えていませんでした。
念のため、調べてみたら、佐野日大高校から1989年にドラフト3位で入団。ちなみにその時の1位は葛西投手でした。一軍での成績は91年の年だけで、12試合に投げて2勝4敗。
活躍期間は短くとも、タイガースOBには違いない。がんばれ麦倉投手。
>‘66は何故かドラフトが二度行われて、その一位は二人いるのです。
66年の第二回ドラフト会議は、「社会人と国体に出場しない高校選手」と、11月に「国体出場選手と大学選手」に分けて開催されたようです。今年はそれ以来の2分割ドラフトになりましたね。
toraoさん私信ににつかってごめんなさい。
いわほーさん、ありがとう!一度呑みたいですねぇ!
麦倉投手!
古里投手と共に、140キロ中盤のストレートを投げる投手らしい投手でしたね。
この両投手に、夢をみた日を懐かしく思い出しました。 ^^
最近現代史を習っているんですが、85年って割りとよく出てくる年なんです。 1985年が出てくる度に「阪神日本一」と思うけど、まだ私が生まれる前のことで、私が阪神ファンになったのも野村監督から星野監督に変わる辺りからで、ここ3年の阪神が昔からある感じがしていましたが、逆に変わったのが最近なんですね。 森無礼さん>私の知らない頃のお話ですが、とても興味深いです。これからもたくさん聞かせてください。
星野さんがだめフロントを改革してくれた事が、最大の功績です。そこに野崎代表が居たことがさらに良かった。もう以前のゴタゴタを繰り返す事は無いでしょうから、電鉄にとってのタイガースの価値がはっきり分った今では。
来季からパのプレーオフで、レギュラー・シーズンの一位チームに無条件で一勝分のアドバンテージを与える。その代わり一位球団が全試合の興業権を持っていたのが、第3,4戦は下位チームが興業権が持てると変更された。これは如何でしょうか。この2年間の結果を受けて変更されたと思うが、一勝分はでかいと思うが、従来の5戦全部一位チームのホームで戦える事は、かなりのアドバンテージですよ。ファンの応援があるのと、それにも増して5戦とも裏の攻撃が出来るのは圧倒的に有利です。その点を皆さんがあまり言ってないのが不思議です。今年の結果はウチやホークスが短期決戦向きの野球で無かったのに対し、マリーンズが短期で無茶苦茶強かったから。来季はセは実施しない事になっているが、再来年から実施する予定なので、十分に論議してもらいたい。
ブログで交流している日ハムファンで有名な人に、田中賢介は絶対にやれないと言われてしまいました。彼もウチに来れば、レギューラーを取れるチャンスなのに。
to ばかぼん父さま
ああ、なんだか私の書き方だと「おねだり上手」みたいですね(笑)。ばかぼん父さんの方がかっこ良いなぁ。情熱によって、周囲を思うとおりに動かしていくという点は、同じなんですけどね。
さて、星野さんの監督復帰ですが、なとなく、DかTかGしかないような気がします。ん、Cもあるかな。そして、ひょっとしたらもうタイミングがないかも知れないなぁ…とも思います。
to いわほーさま
でなかなか監督という縁に恵まれなかった時、星野さんはどうするでしょうね。解説者、スポーツキャスターでしょうかね。
to Qたろーさま
おお、タイガースのOBたちと一緒に移動したんですね。ところでなぜ静岡だったんでしょうね。真ん中だから?(笑)。政令指定都市移行記念とかいう名目もあったようですが。少しの写真だけで、映像を見てないのですが、元選手たちの楽しそうな顔がいいですね。やっぱりみんな野球小僧です。お疲れ様でした。
to 森 無礼さま いわほーさま ichikenさま
私はあまり二軍とかチェックする方ではなかったので(というよりチェックのしようもなかったしw)、芽が出なかった若い人たちの印象ってないなぁ…。まあ、こんなことやり始めてからは、支配下選手皆に気を配るようになりましたが…(笑)。
だもんだから、森さんといわほーさんとichikenさんの麦倉談義他は放っておこう(笑)。
どうぞどうぞ、私信でも出会い系でもなんでもご自由にお役立て下さいな、公序良俗に反しない限りね(笑)。
to イエローさま
昔、私は「自称1985年評論家」を名乗っていました(笑)。この年は本当にいろいろあったんですよ。阪神優勝、日航機墜落、プラザ合意からバブル景気へ、ロス疑惑などが有名ですが、他にも電電公社と専売公社が民営化されて、NTTとJTになったりとか、千代の富士全盛で北の湖引退とか、「8時だョ!全員集合」終了とか、「ニュースステーション」開始とか、つくば万博開催とか、スーパーマリオ発売とか、ヒット曲としては、USA for Africaの「ウイ・アー・ザ・ワールド」とか、おニャン子クラブの「セーラー服を脱がさないで」とかね。社会的にも経済的にも風俗的にも、大きなターニングポイントと言える年だったと思います。
to since1970さま
なんだか、なんのためのプレーオフだか、ぼんやりしてきましたね。再来年からはセも参加してのポストシーズンということですから、「何がしたいのか」を明確にして、面白くて、公平な仕組みを作って欲しいと思います。やっぱり、セ優勝とパ優勝を普通に決めて、それとは別に、アジアシリーズ出場に相応しい短期戦に強いチームを選ぶことと、日本一の称号を賭けて新ポストシーズン制度の「日本選手権」をやるという方法が良いんでしょうかね。1勝分のアドバンテージっていうやり方は、意外と仕組み自体をつまらなくしてしまうような気もします。
>でなかなか監督という縁に恵まれなかった時、星野さんはどうするでしょうね。解説者、スポーツキャスターでしょうかね。
私も今年の機を逃したことで、当分は監督復帰のチャンスはなさそうに思います。
それでも我らが大将のことだから、あちらこちらから引く手あまたに、いろんなお誘いやイベントで、スケジュール帳に空白のページは存在しないでしょうから、ファンの心配には及ばんのでしょうね。^^
>いわほーさん、ありがとう!一度呑みたいですねぇ!
忘年会しましょうよ。>森無礼様
to いわほーさま
あれ、なんか…いいなぁ…(笑)。
こんばんは
星野SDが中日の監督を山田久志氏に譲ったとき、『おそらく外様の山田では地元の支持が
得られない。2?3年で第3期星野政権だ』というのが大方の予想でした。
そこに青天の霹靂、out of blue。阪神からの招聘劇。
『やめとけ。2度と戻って来られなくなる。だいたいノムさんに出来なかったことがアンタに
出来るハズがないだろう』中日ファンは皆そう思いました。私もその1人でした。
球団は絶対に金を出さないだろうし、OB達には歓迎してもらえない。
そんな環境で成功できるワケがない。聞こえて来るのはそんな話ばかり。
そんな中で星野仙一は阪神タイガースの監督就任を受諾しました。
正直なところ、ここまでの成功を収めることが出来ることが出来ると思いませんでした。
あれから4年経とうとしてるんですね。
to 移民の歌さま
来てもらう側だった私としては、まったくそんな風に思いませんでした。
名将の誉れ高き野村監督の3季で結果が出ず、もう何かを変えてくれる人ならと、わらにもすがる思いでした。
まさしく金を出させて、OBを味方に付けました。それをいち早くぱっぱっとやっちゃった。そこが凄いところでしたねぇ。