いじめ問題つれづれ

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いじめによる自殺問題を受けて、朝日新聞のサイトに「君へ」というコーナーがある。


各界の著名人が「いじめている」「いじめられている」君へというタイトルで文章を書いたものだ。これを読んでいたら、いろんなことが思い浮かんで、だんだん混乱してきてしまった。なので、混乱したままにつらつらと。
松井選手のいうとおり、好きなことに没頭できれば、いじめている暇も、いじめられている暇もバカバカしく感じられるだろう。好きなことが見つからないというのが問題なんだろうね。好きなものに熱中して楽しそうな大人が減ってきているということなのか。
井川って、いじめられてたんじゃないかな。いやタイガースの中にいじめっこがいるとは思わないし、現実にイジメがあったなんて思わないけど、普通井川みたいな人はいじめられるタイプだなぁと。きれい好きの潔癖性で、それはプロ意識の徹底という素晴らしい面と同時に、人付き合いの悪さにつながるだろう。素晴らしい成績は、やっかみの対象になるだろうし、酒もタバコもやらないとなると、「なんだいあいつは」みたいな言われ方をされるても不思議じゃない。
プロ野球チームだから、クラスの友達関係みたいな「小さいイジメ」なんてものはないだろう。結果だけがすべての勝負の世界なんだから。でも、それを見ているファンたちは、現実の世界に暮らしているもんだから、心の片隅でそんなことを想像してみたりもするわけだ。少なくともファンからはイジメに近い仕打ちを受けていたと思うしね。あんなに早くからメジャーメジャーって言っていたのは、タイガースの居心地が相当悪かったんじゃないか…とかね。
まあそんなくだらない想像はどうでも良いんだけれど、人間関係っていうのは難しいものだなぁと。好感を持つ→感情のエネルギーの絶対値が上がる→何かのきっかけで好きだったと思っていたものがイヤに感じる→感情のエネルギーが高かったぶんだけ激しく憎悪する…こんな経験はだれでもあるのではないか。こんな経験をもとに、「次はうまくやろう」と積極的に前に行く人もいれば、どうしてもそうなれずに「もう他人に期待するのはやめよう」となる人もいるのだと思う。それが進んでいくと、まわりとの間に壁を作り、孤立してしまう。孤立していても社会生活に問題がなければ良いが、さらに進めば自分を無価値と決めつけて、様々な問題を引き起こす。
人間関係なんて無理にすることないんだ、仕事(社会との関わり)上のことだけきっちりやっていれば良いんだというドライで都会的な考え方。対極にある「他人のこと=自分のこと」共同体全部で問題を共有しようというベタベタした村的な考え方。どちらにもメリットとデメリットがあり、そのバランスの中に自分の居心地の良い人間関係を求めるということか。しかし常に相手があってのこと、自分の思惑通りにはならない。新しい人間関係を求めて別の世界に旅立っても、世界中どこにも人間関係というのは存在して、決して逃げ切れるものではない。いつかは立ち向かわなければならない時が来る。
あまり堅苦しく考えない方が良いような気がする。
少しでも心にゆとりのある人が、まわりを見渡して優しい心配りをする。そんなちょっとしたことが積み重なれば、かなりの改善が見込まれるように思う。

コメント

  1. DAI より:

    いじめ、ですかぁ。最近、面白いなぁ、と思うのが、大人になってもまーだ「言葉」がどうちゃらこうちゃら言う人がいるんですよね。言葉をこっちの言葉にできないかね?とか。そう言えば、そういうこと言ってるの筑前町近くの学校の先生とかだったり、役所の人だったりするんですが。
    大人になってもそういう感覚が抜けないんだから、いくらいじめ問題があーちゃらこーちゃら言っても駄目だろうナァ、と思ってしまったり。
    まあ、自分も子どもの頃から転校三昧でいじめは必ずつきまとっていて、なんというか、言葉とかほんのささいなことですよ、最初に始まるのは。異質なモノを受け入れられない人たちの感覚ですよね。でも、それも、そういう経験が少ないわけだから、異質なモノを受け入れられなくてもしゃーねーかー、なんて大人になったら思うわけですが、子どもの頃は、そういう問題が大きかったりするんですよね。前の学校のジャージー、前の学校のヘルメット、前の学校の指定の辞書、それが違うだけでいじめの発端になったりするわけで。
    イガー君の「ダッペ」なんてあだ名、そりゃ、普通にいじめだろー、とか思ってました。自分。言ってる方は、笑い話なんだろうけれど。あれ、受け手が繊細な子どもだったらキツイですよ。まあ、そういう感覚がいじめにつながると分かっているかどうか。こういうの、大事ですよね。
    いじめの問題っていうのは複雑なんでしょうが、対処法は「前に出て戦う」か「後ろに引いて泣き寝入り」の二つだけ。できれば、戦って欲しいな、とは思うのですが、なかなかそれがねぇ・・・。
    よく大人に相談すればいいじゃん、っていう話がありますが、子どもが一番嫌がるのは、親を心配させることなわけで・・・。親には問題がいかないよ、というのが分かれば子どもも少しは相談とかしやすいんだろうなぁ、なんて思ったりもするんですけどね。
    もし前に出て戦うことを選べるなら、戦い方は「常に問題をオープンにしていくこと」と「正しいことを貫くこと」この二つ。そこまできちんと導ける人が少ないこの世の中。厳しいものです。
    と、まあ、新年の挨拶にうかがったらなにやら問題があったので、新年早々、つらつらと書きつづっちゃいました。今年もよろしくです!

  2. 西田辺 より:

    新年早々、酒も抜けそうなお題ですね。
    「命の大切さ」
    まずこれを大事にして欲しいですね。
    学校でではなく、家庭が中心に教えたいですね。
    ここから自己愛(自己中ちゃいまっせ)・他人への尊重が
    生まれてくるはず。
    何だか最近の犯罪や、自殺の多さを見ても余りにも
    命が軽んじられてる気がする。
    みんなほんの少しずつ優しさを持ち寄れたら、もっと
    良い世の中になるのにね。

  3. 猛虎くん より:

    かなり重いお題ですね。井川君は喜怒哀楽表に出さない冷めた印象もってましたが、甲子園での広島戦完投勝利の涙。びっくり。もし井川君が村山さん、星野さんの用な熱さ持ってたらもっと肯定的なファンはいたと思います。でも人それぞれ性格ってのがあるんでしょうね。井川君も感情押し殺してたんだと思います。得する性格損する性格ってのは確かにありますよね。誰だって得したいのが本音ですよ、でもそれが性格ってもんですから。井川君がんばれ。

  4. いわほー より:

    タイガースの“いじめ”といえば、かつてのドライチN投手を思い出します。彼の行為が、どこにでもある先輩・後輩のしごきの範疇を逸脱していたのかどうかは定かではありませんが、当時、物議を醸していましたね。表出するかしないかだけであって、今昔普遍のものだと私は思っています。
    “いじめ”の最も根深い問題は、いじめられる側の意識とは裏腹に、いじめる側には“いじめ”ているという加害者意識を欠いている点があげられます。だから、いくら学校やマスコミが「いじめはやめましょう!」と掛け声をかけたところで、いじめる側には一向に届かないのです。井川がチーム内や心無いタイガースファンの誹謗中傷に苛まれていたんだとすれば、同じタイガースファンとして心が痛みますが、井川にはもっと強くなって欲しいし、井川をケアしてあげる人がチームやスタッフにいなかったのかと残念に思います。今年から在籍するNYなんて、ファンもマスコミも、もっと辛らつですから。(言葉を閉ざしてスルーするという手もありますが。)

  5. torao より:

    自分自身、あまり去年の総括ができていなかったところがあって、新年からどんよりとした話題でごめんね。
    to DAIさま
    自分自身、人を傷つけてしまうことへの配慮に欠けていたなぁと思い返すことがよくあります。
    大人でも子どもでも、どんな社会にもリーダーがいて、そのリーダーに「いじめは良くない」という正しい感覚があれば問題は最悪の方向にはいかないと思うんです。私はどちらかというとリーダー的役回りになることが多かったのですが、一度だけいじめに同調するような行動をとったら、すぐさま担任に呼び出されて平手で叩かれ、「オマエがそんなことしてたらどうなる、よく考えろ」と言われました。担任はいつもいじめられそうなのは誰なのかと、いつも気にかけていたんでしょうね。
    よく、いじめは必ずおきる、なくならないと言われます。確かに「自然と」起きてしまうかのようです。だからこそ意識的に「なくそう」という努力が必要なんだと思います。
    to 西田辺さま
    「命の大切さを教える」私、これ正直よくわからないんです。どうやって教えたら良いんでしょう。教えるというより、自分自身で感じていくことのように思います。
    自分の子どもがいじめたり、いじめられたりすることがあるのだということを常に想定して、子どものことをよく知ること、見守ること、愛情を注ぐこと。家庭ではそれにつとめたいと思っています。
    to 猛虎くんさま
    損する性格、得する性格、ありますね。私は、なんとなく損する性格の人を贔屓してしまいます(笑)。そして得する性格の人を「ずるい」と思ってしまうところがあります。けっこうみんなそうみたいで、結局損する性格の人も、決して損ばかりじゃないってことなんですね(笑)。
    to いわほーさま
    朝日新聞の特集の中では、さかなくんの書いているものが一番好きでした。きっと社会システムというものがある限り、自然摂理のようにイジメというのは発生してしまうのでしょう。それをいろんな立場にいる人が気づいて、どんな行動がとれるかということ。まったく力のない人でも、ただ声をかけて、近くにいるだけで絶望の淵にある人を救える可能性があるんですね。

  6. いわほー より:

    私もおさかな君のメッセージが一番印象に残っています。魚を例にたとえて、いじめ発生の本質を言い当ててましたね。
    そもそも、文科省や教育委員会が過去に何の手立ても講じられなかったのは、「いじめは悪です。いじめはやめましょう!」というアプローチでしか、この問題に向き合えていないからだと思います。だから教育委員会から文科省への報告で、過去にいじめは、統計的に「ほぼゼロ」という不思議な報告がなされてしまう。いじめがゼロと報告すれば、この問題は解決したかのように得心できるのでしょう。
    それでもいじめが起きてしまうのが集団社会の本質。むしろ、いじめは起きるんだという前提に立って、いかに小事で収めるか。再発を防止できるか。そして、いじめを自殺に結び付けないようにするか。そちらに関心と努力を払う必要があったんではないでしょうか。
    そもそも“いじめ”が“自殺”に直結するということ自体が、飛躍しすぎているんであって、“いじめ”=“自殺”の連鎖を断ち切る作業がマスコミ含めて、社会が先ずやらなければいけないことだと思います。(長々とすみません)

  7. torao より:

    to いわほーさま
    いじめを小事で済ませるというのは本当そのとおりだと思います。
    どの辺に発生しそうかなど見てりゃすぐにわかるのですから、わざと愚鈍なフリをしたりせずにキチキチっと対応したら良いように思うのですが、言うは易く行うは難しなのかな。

  8. キチキチと対応させていただいております(苦笑)
    去年何度学校へ行ったか(^^;
    私も損な方ですねえ・・こう見えても。。
    自分がとんでもなくウェットなので、音楽とかはドライな曲を好みます。
    新庄が「金スマ」で語っていた高校時代のイジメはただ事では無かったです(利き手の爪の間に針を刺すとか・・)
    で、自分が3年になったら一切イジメを止めたそうです。(やっぱり新庄って凄いなあ)
    ところで井川君、寮では福原の部屋の電灯を全部ピンクにしたり、福原が寝たころジェイソンの仮面をかぶって襲撃したり、結構いたずらっ子だったそうです(何故福原ばかり?)。
    わりと寮での思い出は楽しそうに語っているのが印象的でした。
    好きだったんだなあ・・寮が(^^;)

  9. torao より:

    to りさ・ふぇるなんですさま
    私の高校の担任が、卒業の時にくれた言葉は、「ちょっとだけ損をしよう」でした。損ばっかりじゃ身が持たないけど、得する方、得する方を選んでいると、いつかものすごく大切なものを失うことに気づくだろう、ほんの少しずつ損をするくらいの気持ちでいると、気づけばものすごく大きなものを手に入れているだろうって。実践できてるとは思いませんが、忘れられない言葉です。

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