【虎戦士回顧録、あの時は…】安仁屋宗八氏「今があるのも阪神での5年間が大きい」(デイリー)
どの球団にも、ショートリリーフを担当する投手の中に変則モーションを駆使するピッチャーが左右問わず一定数いる。
偏見にまみれた私の主観ではあるが、阪神は伝統的に変則リリーバーへの依存度が高い。
江夏とのトレードで南海からやってきた池内豊は、70年代後半から80年代前半にかけて馬車馬のように投げまくった右サイドハンド。
深沢恵雄とのトレードだった福間納はまさにその後継者の左サイドスローで、85年日本一の立役者だった。ともにリーグ最多登板を2度ずつなしとげている。
優勝しそこねた92年など90年代に活躍した田村勤も左サイドハンド。
ノムさん時代の00年前後は「遠山葛西遠山」の遠山奨志と葛西稔や伊藤敦規と左右のサイドハンドがブルペンの主役。
2000年代の黄金時代を支えたのは左の豪腕サイドスローのジェフ・ウィリアムス。
その後も加藤康介や髙橋聡文などが連日マウンドに上がっていた。これでも主なところだけであって他にももっといるはず。
共通するのは、サイドハンドの変則モーションで内外の変化を使うこと、リーグ最多登板レベルの激務をやり抜いたこと。トレードでやって来る投手が多いのも特徴。
私が知る範囲でその「最古参」が安仁屋宗八だった。まあ毎日のように投げていた記憶がある。
現在の野球が更新されていかないから、過去を振り返るしかないね(笑)。
コメント
(ごめんなさい、
toraoさんの勘違いかと思いますが福間さんは左腕。)
福間納は左ですけど・・・
確かに、変則中継ぎの宝庫とも言っていいタイガース投手陣の歴史。
大町や御子柴なんかもその系統。
リリーフ専門ではないけど、谷村や上田次郎、小林繁なんかも子供の頃の
物真似レパートリーに入ってたなぁ。
相手方のヤクルト安田とか梶間、巨人の角なんかも阪神打線は苦労してました。
今は、変則よりも剛速球で相手を捻じ伏せるリリーフが主流になって、
各チームそういう投手を揃えるようになりました。
攻める方も、盗塁技術が進歩してモーションの大きい変則投法の投手が
段々と影を潜めるようになったのは寂しい限り。
そんな盗塁技術をかいくぐる変則投手が出て来れば、子供も真似しますし
野球人気も盛り返すんじゃないかと思います。
出でよスーパー変則!
間違った……さあせん!
コロナの話題しかない今、
我々初老世代にはたまらない懐かしい名前のオンパレードで、元気の出るコラムです。
ファンになって間もない頃、安仁屋宗八投手が連日のように投げていたのを思い出します。
完投型の江夏投手が抜けてからは更にブルペンが忙しくなり、
(「古沢、二朗完投しろよ」などと言っていた私のクソガキ時代)宮田投手、上田卓投手などで繋ぎつつ先発だった「変則モーション池内投手」をリリーフに回したらピタリとはまり、一時は開幕戦から10試合近くヒットすら打たれないシーズンも記憶にあります。
そして、その後リリーフに回ったエモやんも「変則」っちゃー変則だったような気がします。
今でこそ「守護神には剛腕を」の風潮ですが、あのノムさんがボールの遅い葛西投手や遠山投手を守護神に使っていた事も面白い。
記憶に新しいジェフなどは「変則」のイメージこそあれ、ゲーム前練習の遠投では球場の端から端まで軽々と届く「地肩の強さ」があり、意外とパワーピッチャーでもあったと思います。
さて今季は、やや変則そして移籍組の桑原は復活できるのか?
はたまた、生え抜きスリークォーター守屋がポスト球児に名乗り出るのか?
色んな角度から「見どころ」はあるんですけどねぇ。
福間さんは私が知るなかで島根県出身の最初のタイガース在籍投手。憧れでした。
変則投手といえばジェフもその1人やと思います。
タイガースは本当に変則投手が多い印象ですね。
名字も珍しいのが多いような・・・・・。
安仁屋さんをはじめ
藪、御子柴、源五郎丸等
話が脱線しました。
かつては本当にアンダースロー収集球団でした。
ベースに届くまでに素振りが1回できるといわれるほど球が遅かった大町定夫さんなんかも印象深いアンダースロー投手でした。
グラサン風の眼鏡で飄々と投げる姿が思い出されます。
選手寿命は短かったけど、その後球団職員として営業課長なんかもされて長く在籍しておられましたね。(今でもかな?)
安仁屋宗八さん、2年前の夏の高校野球で終戦記念日に「レジェンド始球式」で甲子園のマウンドで始球式された姿が思い出されます。
あの時、もし紋付き袴で始球式されてたら、戦前のモノクロ写真でよくみかける始球式風景と見まがう風貌だなと思って見てました。
お元気そうでなによりです。
福間と聞けば福家も思い出す
その系譜を辿る青柳、守屋には頑張って貰いたいですね。
呂もサイドにしてウィリアムスのようになれ!なんてね(笑)