元阪神のキーオ氏が死去 虎暗黒時代のエース、早すぎる…64歳(サンスポ)
暗黒時代の定義は見解が分かれるかも知れないが、日本一の翌々年(1987年)の最下位から、野村最終年(2001年)の最下位までの15シーズンというのが一般的か。その間、2位が1回、4位が2回、5位が2回、最下位が10回。思い出しても情けない。
亡くなったマット・キーオさんは、その暗黒初期のエースだった。違う時代に、あるいは違うチームだったら、タイトルを獲っていて、もっともっと長く日本でやっていただろうに。そうすれば、練習中に打球が当たるという不幸な事故や、飲酒トラブルもなかったかもしれないのに……そんなことをいっても仕方ないけれど。
キーオさんに敬意を表し、過ぎ去りし暗黒時代を振り返って本日はおしまい。合掌。
コメント
キーオ氏の突然の訃報には驚きました。
あの時代、打線の主軸だったバース&掛布が抜け
日本一メンバーの真弓、岡田も衰えチームも低迷。
そんな援護の無い中で孤軍奮闘していた存在がまぎれもなく「マット▪キーオ投手」でした。
もともと野手だった事もあり、その打撃でも楽しませてくれた事も記憶にあります。
来日3年目に、やっとフィルダーという打線の軸の加入で、自身最高の15勝するも、そのフィルダーを球団が簡単にリリースしてしまった事など、
いろいろと不運(不遇)なNPB時代だったろうと思います。
暗黒期、悲運のエース「キーオ投手」忘れません。
心よりご冥福をお祈りします。
懐かしいお名前を耳にする機会が、いつも訃報なのは悲しいです。
マット・キーオさん、長い手足からの独特のナックルカーブが印象的でした。
64歳はまだまだお若いだけに無念でしょう。
お悔やみ申し上げます。
暗黒時代のエースと言われると、すごい年上かと思ってしまうけど
私やtoraoさんと一回りも変わらない64歳。
あの状況の阪神の中で、4年在籍で3年が2桁勝利と言う成績は
立派の一言。
あの頃「キーオなら今日はもしかすると」って感じでしたからね。
なんせ、年間のチームの勝利数が40台から50台って勝ち試合自体が
貴重な時代でしたから(笑)
お父さんが、南海に野手で在籍したのも当時の記憶として残っています。
余り語られませんが、バッティングも良かった記憶があります。
メジャー復帰を目指してアメリカに帰ってからは、色々あって余り幸せな
野球人生とは言い難いものでした。
toraoさん仰るように、来日したのが暗黒阪神じゃなければどうなったてたか・・・
なんて誰も分からないけれど、何となく気の毒な気もする。
ありがとう、キーオ!
安らかに。
暗黒のエース…ゴアの顔が浮かんだ。
ゴアジャナイヨ‼️キーオダヨ‼️
お疲れ様でした。ありがとうございました。
キーオは暗黒時代によく投げてくれました。ヒゲと長身で、長い腕をスリークォーターからしならせるイメージですね。
アメリカへ戻ってからの様子は、今回の訃報で知りました。同じく暗黒時代を支えた藪のアメリカ挑戦に絡んでいたとは。
キーオさんの突然の訃報に驚いております。まだ64。天寿を全うされたと言うには…残念です。キーオさんで思い出すのは野球ゲームソフトにもあの愛すべきモジャモジャ頭で登場されておりましたね。もちろん獅子奮迅の活躍。困ったらキーオで酷使しておりました。弱い時代に頑張ってくれた選手ほど愛着はひとしお。
ありがとうございました。
謹んでお悔み申し上げます。
川藤OB会長の後に背番号4を付けて熱い想いでナックルカーブを投げ込む姿は格好ええ投手でした。
キーオ氏が亡くなられる前にお孫さんも亡くなられてたとか…
暗黒時代でしたが間違いなく球界を、タイガースを代表するエースでした。
ありがとう。
御冥福をお祈り致します。