阪神淡路大震災から28年、時の経つのは早い。当時を忘れてしまうくらい着実な復興を遂げたことはすばらしい。多くの死者を出した教訓を忘れないことも大切だ。
もうぼちぼちキャンプ振り分けが準備されている頃。ことしから二軍のキャンプが行われる具志川球場の情報が各市に取り上げられた。
今春から阪神2軍のキャンプ地となった具志川野球場ってこんなところ 2月1日に向けて急ピッチで整備中(サンスポ )
30〜40分ほどで移動可能なので、紅白戦参加や入れ替えが容易になる。上の選手には危機感に、下の選手には希望になりそうだが、実際どうなるのか楽しみだ。
コメント
阪神淡路大震災から28年、1995年の事でしたから今のヤングタイガース(94年組が中心)では記憶にある選手も居ない程の月日が経ちました。風化させないように私達が伝えて行かなければいけませんね。
さて、今季から二軍がキャンプする具志川球場も急ピッチで整備が進んでいる様子。
安芸より暖かいのは勿論、
宜野座との約30kmしかない距離で「天国」と「地獄」の距離が縮まり、行き来しやすくなった事はプラス要素しかありません。
「具志川球場でハッスルした選手は即座に上げ、宜野座でチンタラしている選手は即座に下げる」厳しいキャンプを希望します。
最近の選手は「和気あいあい」感が強いですが、同じ場所でノックを受けている選手や隣りのケージで打撃している選手より絶対にアピールしてやるという、良い意味でのバチバチが観たいですね。
平田ヘッドは良い「煽り役」になりそう。
今年、慰霊のキャンドルで「1995むすぶ1.17」という文字が象られて
ました。
ともすれば、忘れがちになる震災の記憶や教訓。
少しでも覚えている者の手で、次の世代へ結んで行きたいとの願いでしょう。
亡くなられた方のご冥福を、改めてお祈りしたい。
長年親しんだ安芸を離れて、今年から二軍キャンプはうるま市へ。
かねてから、一二軍のキャンプの距離については検討されていたようですが、
これでそれぞれのキャンプでの連絡や情報の共有がさらに密になることでしょう。
そして何より、選手同士の意識も変わってくると思います。
距離にして30㎞。
宜野座キャンプの選手は、降格の緊張感が。
具志川キャンプの選手は、昇格への意欲が去年までとは格段に変わって
くるはず。
1985年、それまでのハワイと安芸キャンプから安芸一本化した年に日本一。
2003年、安芸一本から沖縄と安芸の分離キャンプにしてリーグ制覇。
2023年、沖縄・安芸体制から、宜野座・具志川体制で・・・
さて、どうなりますやら。
沖縄にタイガースの選手が全員揃って、入れ替えも頻繁に行われるとチーム内競争が活性化されてええですね。
今年のキャンプ中継は安芸からの中継は無くなって、具志川からの中継があるんやろか?
若手がどんどんアピールして、競争激化、入れ替えが頻繁になってチーム力を上げて貰いたいですね。
疫病退散!
頑張ろう日本!
安芸の地元の方はさみしいでしょうけど、やはり高知と沖縄の気温差を考えれば少しでも暖かいところで過ごさせてやりたいですもんね。
どうせなら宿泊施設も同じところにすれば、より緊張感高まって刺激になったりして。
近頃では東日本大震災のインパクトもあって、全国レベルの関心が薄れつつある阪神・淡路大震災ですが、関西圏の住民にすれば今なお心に染み付いた負の記憶。
風化させずに世代を超えて祈りをつむいで行きたい。
そういえばあの年『がんばろう神戸』の合い言葉でリーグ優勝を果たしたオリックス。
そして我がタイガースは嗚呼最下位。
思えばあれから28年後の現在地、神戸も虎も少しは復興したといえるのかな。
震災当時、大阪に住んでいたからこの日が来ると何時も染々してましたが、いわほー様が話された様に自分も東日本大震災以来、少しずつ記憶が薄れていく気がしていた。
今年は5時45分に黙祷し祈りを捧げたけど本当久し振りだった。
失礼だけど、ヌートバーは近本な佐藤輝より上なのか疑問に思いつつもシーズンに集中出来るから良かった。
タイガース70人の選手達が同じ沖縄で始動出来るのは目標(アレ)を1つに定めるのにはもってこいと思う。
関係無いですが、二人で合同自主トレしている西勇と西純の笑顔を観ていると微笑ましいと同時に頼もしく感じてしまった。二人が中心になり強いタイガース投手陣を支えてくれることを願う。