阪神淡路大震災から12年。
朝起きて、いつものようにテレビをつけて、そこにいつもと違う映像が映し出されていたものの、すぐにはことの重大さに気づかなかった当時のことを思い出す。黙祷と非常袋の点検をする。
いつものようにニュースサイトをぐるりとしてみて、大阪ニッカンのサイトで、今まで気づかなかった「甦る!あの場面!あの感動!虎アルバム」というリンクをポチっとしてみたら、なにやら懐かしい写真がドドっと現れた。
私の知らない時代の写真もある。それぞれの写真から、そこに見えているもの、見えないもの、無数の情報が押し寄せてきたような気がした。
そもそもなぜ私がタイガースファンになったのかが判然としない。私は東京郊外、稲城市に生まれ育った。1960年代半ばに生まれた私の世代は、東京で普通に生きていれば自然とジャイアンツファンになるようにできていた。
父も5つ離れた兄も、とりたてて野球好きということはなく、夜のテレビがオートマチックに野球中継になるという習慣もなかった。近所の子らの野球遊びに加えてもらっても、まだ半端扱いだったので、今日は野球遊びをやると上の子が言い出すとイヤだった。
3年生の頃、近所の物知りなお兄さんが、野球のチームに入って軟式野球を習い始めたという。そのお兄さんが大好きだったから、試しに一度一緒に行ってみて、ちょっと本格的な野球チームというものを体験してみたら、自分が5倍くらいカッコ良くなったような気がして、野球が楽しくなった。
それからプロ野球を見るようになり、本などもあさるように読んだりした。当然のように情報はジャイアンツのものが多い。子ども向けの本で、長嶋選手は球場に子どもを忘れてきたことがあるだとか、王選手は一本足のまま腕に子どもを何人もぶら下げることができるだとか、ピアノが上手で「乙女の祈り」が得意だとか、森捕手はネクタイが結べないほど不器用だとか、そういうどうでも良いG情報を得る(笑)。
で、いったいなぜタイガースを応援するようになったのか、本当にわからない。わからないが、時系列で追っていくと、そのジャイアンツ豆知識を得てから、さして間もなく、タイガースファンとしてのスタートを切っているようだ。おぼろげに思い出す「感情の起伏」としては、「よし、今日からタイガースを応援することにしよう」というような、無理矢理自分で決めたようなことがあったような。もともと人から何か言われると反対のことをやりたがるようなひねくれたところがある(息子に遺伝していて怖いw)ので、大した理由などなかったのだと思う。かくして小学3年生の後期頃からめでたくタイガースファンとして歩み始めたのだった。村山さんはもう引退していた。カークランドが三振して優勝を逃した試合は見ていない。外国人はここに写真があるアルトマンとテーラーだった。
その後、日本のプロ野球の全盛期を、全盛期とはまったく呼べないタイガースを見つめながら三十数年か。本当に年月の経つのがはやくてやんなっちゃうねえ。ひょっとしたら今は私のタイガースファン人生の中で最良の時期かも知れないが、プロ野球全体の歴史としては必ずしも最良とは言えないようにも思う。別に歴史に名を残したいなどと大それたことは思わないけど、ただ栄枯盛衰を見つめるだけではいたくないな。ファンがその気になれば、野球界は変わると思っているから。
コメント
わ。僕も最初の外国人選手はテーラーとアルトマンでした。
巨人のマークのついている黄色い帽子をかぶっていた小学生時代、野球チームなるものを意識するようになって、父に「大阪のチームってどこ?」と聞いて帰ってきた答えが「阪神や」。
近鉄沿線在住ですんなり阪神ファンになったのは、サンテレビのおかげ。でも父は元は南海ファンだったらしい。
そうゆえば、古いアルバムのセピア色の写真の中の小学生は、南海の帽子かYGの帽子ををかぶっていますw
自分自身はどっちかのファンとゆう記憶は全く無いんですよ。
タイガースファンになったのはいつからやろ?
最初の助っ人がカークランドやから相当古いと思いますけどw
to まつたかさま
あの黄色い帽子は「Gファンの証し」じゃなくて、安全のためでしたもんね。あそこにオレンジのYGマークくっつけたやつめー(笑)。あとさ、あとさ、内側に織り込んだ緑色の硬質セロファンみたいなんあったよね。サングラスみたいにできるやつ。あれなんだったんだろう(笑)。
to でんまんさま
G黄金期の前は、南海の黄金期がありましたからね。
どこのファンとか以前に、小さい子には野球ってわかりにくいスポーツですもんね。小学校2,3年にならないと、意味わかんないですよ(笑)。
>「甦る!あの場面!あの感動!虎アルバム」
じわーっと古い記憶がよみがえってきますね。中でも源五郎丸洋(1)(2)と古沢憲司(1)の三枚がツボでした。古沢と並んで、山本和、安仁屋、池内の姿も懐かしいなあ。^^
私が子供の頃、周りの大人たちを見回してみると、大阪といえどもG軍ファンは多かったし、南海ファンも結構いました。今でこそ、阪神一色になっちゃいましたが。私としては、正直、タイガース一色の状況というのは、あまりうれしくないんです。かといって、今さらタイガースファンは辞められませんし。^^ゞ
知りませんでした。
いやー眼福でした。
後藤のクマさんが若い。
隣の若生も・・・今年70歳と若うない・・・。
でも、マスターズリーグではしっかり投げてました。
ちなみに森捕手がネクタイを結べないのは、長年捕手をやっているとファウルなどを手に貰ったりしているからと聞きました。
甦る、ヨミガエル・・・。
田淵と江夏のツーショット、うぅっ!
佐野さん・・・ツボでした。好きやったなぁ?。
球道くんは、浪商時代から甲子園で応援してました。
あぁ・・・遠い目になってる?(笑)
我が家は、G と T を中心に応援してました。
決定的に T 一筋になったのは・・・江川?小林事件以来です。今でも、テレビに向かって小林投手に「がんばれっ!」って叫んでたの・・・はっきり覚えてますねぇ。
>内側に織り込んだ緑色の・・・
なんやったんでしょ?やっぱ、サングラス?
to いわほーさま
>…今でこそ、阪神一色になっちゃいましたが
この状況を恨みに思っている旧阪急、南海、近鉄のファンはとても多いですね。今さらどうすることもできないんですけど…。
to ハムぞーさま
若生さんは若くないのに若いですよー。マスターズでビシビシ投げる姿はしびれます!
森さんの話は、確かに本にそう書いてあったんです。子どもの本にウソを書いちゃダメですよね(笑)。
to emaさま
小林、応援しましたねえ、そしてそれに応えて鬼気迫る投球でした。でもなぜか開幕サヨナラ暴投の映像ばかりが思い出されるんですけど(笑)。
あ、誤字でしたね「織り込んだ」→「折り込んだ」。
緑色のアレ。
あったあったー!スゲー懐かしい。
冷静に考えたら、たぶん帽子の型くずれを防ぐためのものだと思うけど、サングラス状にひっくりがえして遊んだ遊んだ。脳内ではミラーマンになってましたよ。
あと、紅白帽を半分だけひっくりがえしてウルトラマン。
to まつたかさま
なるほど、型くずれ防止(はからずもダジャレ)か。そりゃそうですね(笑)。
みんなやるんだなぁ、紅白帽(笑)。