
【阪神】掛布OB会長、忘れられない4・25…江夏豊氏の姿に涙こらえ 松村邦洋とトークショー - プロ野球 : 日刊スポーツ
阪神タイガースOB会長の掛布雅之氏(70)が20日、大阪市中央区の大阪高島屋で、タレントの松村邦洋(58)と殿堂入り記念のトークショーを開いた。4代目ミスター… - 日刊スポーツ新聞社のニュースサイト、ニッカンスポーツ・コム(nikkansports.com)
このトークショー聞きたかった。
超人的な活躍を見せてくれた野球選手だって老いもすれば病気にもなる。江夏さんも田淵さんも、どうかお元気でと思ったあの日だった。
90周年だった今年だからの企画だったとは思うが、そうでなくても年に1日くらいは、歴史を振り返り、懐かしさに涙を流す日があってもいいよね。
あとよろ。


コメント
つい最近までTV解説をしていただけに、レジェンドデーでの江夏さんの現状はショックでした。歩くこともままならぬ中、立ち上がった姿には感動しました。私の歳でうっすら現役の姿を覚えてるくらいなので、全盛期の勇姿を知っている人は結構少なくなってるのでしょうね。
個人的にはOBを引っ張り出して来るイベントには懐疑的な印象ですが、今年のような節目の年に限ればよかったと思います。次は10年後でしょうか。その時は生え抜きに拘らず、タイガースで素晴らしい活躍したレジェンドを呼んで欲しいものです。
江夏、田淵の黄金バッテリーを知る最後の世代に成った気がします。
あの2人が甲子園で胴上げされていたらと思うと涙が出そうに。
2人が去り、ミスタータイガース掛布が誕生し、バース、掛布、岡田で日本1に。
長い低迷の後に、星野さんが強いチームに変貌させ、金本、矢野、岡田体制に成り更に強く成っていった。
そして、円熟の強さと言える藤川球児タイガースに。
もう、来季は連覇連覇でがんじがらめに成りそうだけど興奮し過ぎないようにせねばと思ってしまうのでした。
おっしゃる通り、どんなスーパースターだって老いるし衰える。
自分が小さい頃から見てきて、思い入れが強ければ強い程そんな姿を見るのは
辛くなる。
阪神ファンに導いてくれたのは間違いなく江夏豊投手だったし、決定的に
してくれたのは、若虎掛布選手でした。
江夏氏に関しては、ここ数年の様子を見ると野球をプレーすることは困難
なのだろうとは感じる。
解説も聞かなくなって久しい。
もうファンとして望むことは、一日も長く健やかに過ごして欲しいと言う事だけ。
若いファンは懐古主義と笑うかも知れない。
けど、今のタイガースは過去からの積み上げの上に立っていることを忘れない
ためにも、甲子園歴史館の展示の充実や時折のイベントは必要ですよね。
嗚咽した田淵の胸中に去来したものはなんだったのか?
人は思い出に生きるものですが、本人が存命だった場合その偉大さに気づくことは稀です。
かの小林秀雄が「無常といふ事」の中で
「生きている人間などというのは、どうにも仕方のない代物だな。・・・其処に行くと死んでしまった人間というものは大したものだ。なぜ、ああはっきりとしっかりとして来るんだろう。まさに人間の形をしているよ。してみると、生きている人間とは、人間になりつつある一種の動物かな」と述べています。
プロ野球隆盛期のレジェンドを敬うことは、プロ野球の価値を高めることに繋がると思うのです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d82cfe2ce1daf241515ae86caba8cce5c23f232d
この記事のクロマティーの「野球というスポーツは本当に人と人とを結ぶスポーツだなと強く感じます。」という言葉が心にしみます。
江夏、田渕の黄金バッテリーを生で見たことは無いですが、昔の映像で見ただけですが迫力が凄いのだけは分かりました。
今年はタイガース90周年でいろんなレジェンドが聖地甲子園に集まってくれましたが、これからもレジェンドとして健やかに過ごして貰いたいですね。
がんばろう日本!
遅くにスイマセン。しかし書かずにはおれません。
江夏 – 田淵の黄金のバッテリーは、昭和40年生まれのトラキチには永遠の存在です!
私の世代が、二人の雄姿を観れた最後かもしれませんね。
二人が今に繋がる阪神の礎を、間違いなく築いてくださりました。
ヨッさんが入団当時を振り返って、「あの頃は関西でも、南海ファンの方が多かったんと違いますか」というようなことを語っておられました。
昭和三十九年の日本シリーズ、大阪球場での三試合は満員でしたが、甲子園では二万越えは一試合のみ。
昭和40年代前半、腸捻転時代に今のJNN系で甲子園の阪神巨人戦の全国中継があり、阪神が勝った際、鋭ちゃんがヒーローインタビューで「よくぞ勝ってくださいました」とやったら抗議の電話がABCに殺到したそうです。
何を隠そう私の祖父は熱心な巨人ファンでした。当時小学生の私が、なんで? と訊ねると、勤めが神戸で、三宮で飲んでたら、晩秋から春先までは普通に巨人の選手と一緒になるので情が移ったんや、と言ってました。
川上が戦後しばらく神戸に住んでいて、青田が隣に引っ越してきたというのは、あの頃では有名な話だそうです。キャンプ地も明石ですから、シーズンが終わって翌年のオープン戦の序盤まではずっと神戸で遊んでいたと。
昭和四、五十年代までの伝統の一戦、いつも甲子園は巨人ファンでいっぱい。私にはそれが悔しくて仕方なかった。しかし今は亡きトラキチの親父に言わせると、「これでも結構阪神ファンは増えた方なんや」そうしみじみと語っていました。
昭和43年に江夏が驚異的な奪三振記録を作って下地を作り、そして翌年の田淵入団と同時に、満を持して関西のスポーツ界は変わったそうです。一面作りが巨人から阪神へと劇的に変わったのだと伺っております。
私がスポーツ紙を読むようになった頃は、普通に阪神が一面でしたが、その当り前を作ってくださったのが、言うまでもなく江夏、そして田淵なのです。
巨人一辺倒の昭和四十年代にあって、二人は異能といえる存在でした。
江夏のストレートに強打者のバットが空を切り、田淵の打球がスタンド上段に吸い込まれると、その瞬間、いかに二人が比類なきものであるか子供心にも理解できました。
しかしその一方で、改めて少し長く二人について眺めたならば、飛び抜けた才能のその再現性について疑問を呈さざるをえなかった。
江夏が時折苦しそうに胸を抑えたり、田淵がデッドボールを受け顔を歪め倒れこむ刹那、幼い私にもそれが伝わってきました。
すでに十年以上もタイトルを獲り続けている王、長嶋とは何かが違う、と・・・・。
矛盾するようですが、江夏、田淵はその能力が唯一無二なものであるがゆえに、王、長嶋を瞬間的に大きく凌駕することがあっても、並び立ち続けることはない、そんな風にも感じたものです。
いつもユニフォームの一つ目どころか二つ目のボタンすら外してグラウンドに立つ二人の姿は、それをきっちり留めている巨人の選手とは一線を画し、二人の個性と才能には、勝利や優勝とは違う価値観が球界や、特にわが阪神にはあることを示唆してくれているようで、それが不思議と阪神間の一野球少年であった私の胸に鮮やかで、そして途方もなく魅力的に映ったのです。ホント、今でも惚れ惚れします。私を虎の虜にしてくれたお二人には感謝しかありません。
どうか長生きしてください、いつもどこかで祈っています。