「パ・リーグを生きた男 悲運の闘将 西本幸雄」を読んだ。合併により近鉄バファローズが消滅し、楽天イーグルスが生まれつつあった05年3月に刊行されたハードカバーの単行本。西本さんと同じ…
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「パ・リーグを生きた男 悲運の闘将 西本幸雄」を読んだ。合併により近鉄バファローズが消滅し、楽天イーグルスが生まれつつあった05年3月に刊行されたハードカバーの単行本。西本さんと同じ…
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コメント
かつて、タイガースに監督問題が浮上する度、新聞紙上にお約束のように真っ先に登場するのが西本さんでした。
結局、タイガースの監督として迎えることは有りませんでしたが、外様を嫌うファン気質でありながらも「西本さんなら・・・」というファンは多かったと思います。
晩年、野球解説者としてお目にかかることも少なくなっておりましたが、先日の梨田さんの弔辞で「斎藤の投げ方はあかん。右脚がつっぱっとる、腕もつっぱっとる。タイガースの能見のようにしならせて投げさせい。」なんて話を聞くと、最後まで野球に対する博愛の情を失っていなかったことにほっこりさせてもらいました。
球界、とりわけ関西球界にとって、最後の巨匠と呼べる方でしたね。
(タイガースの監督を引き受けなかったことが長寿の秘訣だったことは公然の秘密か?)
常に西本さんに付き纏う「悲運の・・・」
野球ファンなら誰でも知っている「江夏の21球」を始め、8度の日本シリーズ進出を数えるも終ぞ日本一の栄冠を掴む事はありませんでした。
そんな所から「悲運の名将」などの余り有難くない呼び名を付けられてしまう。
しかし、西本さんは「選手のお陰で8度も日本シリーズに出させてもらった。本当に私は幸せ者」と仰られている。
鉄拳制裁などの厳しい面もありながら、一度表明した辞意を選手たちの引き留めによって撤回したとか、監督最後の試合では近鉄だけでなく
相手チーム阪急の選手も相まって胴上げされたとか、
選手から慕われ愛されたエピソードには枚挙に暇がない。
西本さんの魂は、日本野球のどこへ受け継がれていくのか。
天国から、あの笑顔で見つめてくれているかも知れませんね。
私も読んでみたくなりました。知り合いに西本さんの阪急時代以降を話してくれる人はいるのですが、大毎以前のことはあまりに時間が経ちすぎていて…(>_<。)メディアでもほとんど取り上げられることのない別府星野組時代なんか特に関心があります。
toraoさん、讀賣川上管理野球に挑んだ阪急西本人間野球の三塁手、森元潔選手→森本潔選手の誤変換です。中盤の「西本学校」のくだりの『人ぞれ』は『人それぞれ』では?違ってたらすいません。
奥虎鳳さん、いつもありがとうございます!