ばかぼん父さんから、ちょうど1年前の記事にコメントをいただいたことで、すっかり忘れてしまっていた、野球協約の変更について詳細を知った。
あらましを書くと、共同通信が配信した「NPB、新野球協約を公表 コミッショナー権限を強化」という記事とスポーツ各紙の報道を受けて、去年の1/6このブログに「ニュースは自分で不足なく」という記事を書いた。
その記事の大意は、
1.「新野球協約を公表」したハズなのに、NPBの公式サイトなどで一般の人が全文を見られるようにしてないってダメじゃん。
2.なぜなら、野球協約(変更前)には目的として、「わが国の野球を不朽の国技にし、野球が社会の文化的公共財となるよう努めることによって、野球の権威および技術にたいする国民の信頼を確保する」って書いてあるじゃん。それには情報公開が大事じゃん。
ってことだった。
ばかぼん父さんから教えてもらった衝撃の事実は、その後全文公開された(といってもNPB発ではなくて、選手会のHPにて)新野球協約は、なんと、その「わが国の野球を不朽の国技にし、野球が社会の文化的公共財となるよう努めることによって、野球の権威および技術にたいする国民の信頼を確保する」をはじめとする目的の文言がごっそり削られているというのだ。なぞり書きもなんなので、ぜひそちらの記事を読んで欲しい。
→根来前コミッショナーが最後に遺した負の遺産(野球協約改定)
?迷解!スポーツ観戦記(by ばかぼん父さん)
なお記事中に紹介されているブログの作者竹内浩史氏は、04年オリ近合併問題の際、プロ野球選手会が合併は不当であると提訴した裁判の裁判官であるそうな。それを調べる過程で、04年問題をまとめたサイトを読み返す。関心をお持ちなら、じっくり振り返って欲しい。
→プロ野球再編問題?高裁決定を受けて?
→(その親ページ)プロ野球再編問題?合併をめぐる攻防?(by 時事問題・法律問題を考えるページ)
なーるほど、新野球協約の目的は、別にプロ野球を社会の文化的公共財にすることでも、野球の権威に対する国民の信頼を確保することでもなくなっちゃったから、情報は自分たちの都合の良いようにすれば良いってワケだったんだね。ご存知の通り、日本プロ野球はマスコミとの接点が非常に強い。というよりマスコミ企業が中心になって運営に当たっている。ハッキリ言って、そういうご都合主義な情報操作が一番野球のイメージを低下させ、インチキ臭さを醸し出しているということに気づかない。
一応、新協約の変更箇所を最後までざっくり目を通した。表現の訂正や時代に即した改訂は認められるし、P.51「第21章 註補」に
第194条 (制裁の範囲)
コミッショナーは、野球を不朽の国技とし、利益ある産業とする目的を阻害するすべての行為については、この協約に明文上の定めがない場合であっても、これを制裁し、あるいは適当な強制措置をとることができる。
に、旧協約の理念の一端が残っていることを認めたが、「社会の公共財」「国民の信頼確保」「プロ野球の発展」「世界選手権を争う」という誇らしい文言はすべて削除されていた(PDFはテキスト検索できるからね)。
そして1年後、共同通信が配信したのはこのニュース(サンスポ)。
加藤C、日米王者によるシリーズを提案される
米大リーグ機構幹部との会談を終えたプロ野球の加藤良三コミッショナーが6日、同機構のセリグ・コミッショナーから日米王者で争う「グローバル・ワールドシリーズ」の開催を提案されたことを明かした。
国際的に激しい動きを見せる今こそ、野球協約には理念と哲学が必要なのではないか。
それにしてもまんまと姑息な情報操作にやられてしまった。選手会もなんとも思わないんだろうか。リアクションがまったく見えない。
個別の球団の営業現場では、地道な努力や工夫が積み上げられているように思うけれど、「おおもと」がコレだもんね。は?あ…
コメント
toraoさん、この件を取り上げていただき、ありがとうございます。
この協約改定の内容を知らなかったら、世界選手権を争う「グローバル・ワールドシリーズ」への道が開けた話は、どれほど嬉しかったでしょう。
もちろん「利益ある産業」でなければ長続きはしないので、そこは充分理解できるのだが、そのために理念を捨てる必要があるというような「視野の狭い考え方」には納得できませんわ。
西村欣也さんのその記事、私も読んだ瞬間「あれ?」と思いました。
「あとあとやり易いように野球協約を変えておいた・・・」風のことをのたまったという根来前コミッショナー。プロ野球再編問題で揺れていた当時、「私には権限がない」と無能ぶりをアピールしておきながら、影では小賢しいさを存分に発揮なされてらしたとは・・・。根っからのタイガースファンというのが情けなく思いますわ。
ホリエモン、村上氏をはじめ魑魅魍魎たるマネー亡者達が我が世の春とばかり群雄割拠していたあの時代も今は昔。不況風が吹き荒れる今だからこそ、スポーツだけでも理念を高く持って一服の清涼剤の役目を果たしてもらいたいと思うのは年寄りのたわごとでしょうか。
貧すれば窮する、では無いけれど、政治の世界も球界も
理念よりも権力者の都合が優先される事態に遣る瀬なさ
や情けなさが心に澱のように積もってきます。
建前でも良い、白々しくてもいい。
何かしらの前向きな理念がないと、いざとなったら
コミッショナーさえ押さえ込んでてしまえば、一斉にプロ野球を
捨て去る準備万端とも取れる。
この日本に野球が残した影響は決して小さくない。
その球界が世間に背いた時、デカいしっぺ返しを覚悟
しといた方がいいかも知れない。
2度目すんません
訂正
×貧すれば窮する
○貧すれば鈍する
何書いてんだか…
リンク先の「プロ野球再編問題?高裁決定を受けて?」を読んだ上での推測ですが、NPBは将来、アマプロの選手サイドからドラフトやFA短縮に絡む裁判を起こされたときに、旧協約の文言が残ってると危険だと判断したのではないでしょうか。
ドラフトは職業選択の自由や独占禁止法に抵触するおそれのある制度ですし、選手が自由に球団を移籍できないのも同様に反社会的な要素を含んでいます。会社員だったら、転職するのは個人の自由ですからね。
そうしたことが裁判になったときに、「社会の公共財であるべきプロ野球で、反社会的行為が許されるのか」「それでは国民の信頼を確保することなどできないではないか」と言われかねません。と言うか、選手側の弁護人はまず間違いなく、そこを突いてくるでしょう。その危険の芽を摘みたかったんでしょうね。
ところで西村欣也さんは球界再編問題の当時、NPBが楽天とライブドアの新規参入審査する際に「会社の財務状況」を審査のポイントとしたことをコラムで批判していました。「財務状況よりも熱意やアイデアを重視すべき」というようなことを言っていたと記憶しています。はっきり言えば、全体的にライブドア寄りのスタンスをとっていました。
結果的には周知のとおり、NPBが財務状況を審査のポイントにし、楽天を選んだことのは大正解だったわけですが、西村さんは自分の当時のコラムについてどう思ってるのか聞いてみたいです。
G3さんが指摘の「危険の芽を摘みたかった」というのは当たっているでしょう。善か悪かではなく「勝ち負け」を重視する人のようですから。
しかし、FAの年数については、最初は球団に契約更新の選択権のある8?9年(今、こうでしたっけ?)の契約を結べば法的にも大丈夫と考えます。
職業選択についてはNPBかMLBなど他国のリーグを選ぶ時に発生することであって、NPB内チ?ム間のドラフトは抵触しないと思います。それでも不安なら「戦力均衡」をNPBの理念に盛り込めば良いのです。
http://www.globis.jp/758より引用(ココカラ)
リーグ全体の繁栄を図るために、戦力は均衡化し、好試合が生まれる下地を作る。そして、その環境の中においては、徹底的に激しい競争をする。それがより高い視点で見たときに、リーグだけではなく、チームや選手、ファンにも恩恵をもたらす、という発想(ココマデ)
をアメリカのNFLがやり、実際にリーグが繁栄しています。
「社会の公共財」「国民の信頼を確保」と並び立たないでしょうか?
私は「どんな人でも常に100%正しいわけではない」というスタンスですので、過去に間違っていたからといって人物評価が決まるものではないと思っています。しかし今回は、西村氏が、この件を公にしてくれなければ、多くの人が気がつかなかったという点で、ジャーナリストとして評価したいですね。
FA年数の問題(保有権の問題)は、球団と選手が合意すれば基本的に法律的にはOKだと思いますが、それが「国民の信頼を得る」ようなやり方かというと疑問が残ります。
例えば、一般企業が学生に対して「入社後7、8年の間は転職できない。その間に自己都合で退職した場合も、会社の許可がない限り転職できない」という契約書にハンコを押させたら反社会的と言われても仕方ないです。NPBはそれと同じことをやってるわけですね。プロに入りたい選手側は、不利な条件でも基本的に飲むしかないですから。
ドラフトと職業選択の自由については解釈が分かれると思いますが、シロではなくグレーでしょうね。また、独占禁止法違反については、ほぼクロだと思います。自由競争であれば最も良い条件で契約できたはずの選手の利益を、カルテルによって損なってるわけですからね。
「戦力均衡」については、理念としては良いことだと思いますが、それを達成するために反社会的な手段を行使するというのも矛盾した話です。
と言っても、別にドラフトや保有権を廃止しろと言いたいわけではありません。言いたいのは、「プロ野球の発展はドラフトや保有権のような、ある意味で反社会的な手段によって成り立っている」ということです。そういう意味では、新協約の「野球を不朽の国技とし、利益ある産業とする目的」と言うのはウソやごまかしのない正直な表現で、これはこれで好感が持てるように感じます。
最後に西村さんについては、間違ったのは仕方ないにしても、間違いが分かったらそれなりの対応をすべきだったと思います。でも、ホリエモンが捕まってライブドアの株券が紙クズになっても、過去の自分の発言について特に言及がなかったんですね。その後も何も言っていないと思います。
自分は間違いを認めないのに、他者の批判は繰り返すというのはジャーナリストとして良くないですよね。そもそも、新聞はプロ野球以上に「国民の信頼」を得なければいけない存在のはずですしね。まずは自分の身を正してもらいたいなと感じます。
G3の普段のコメントは私も同意見の時もかなりありますが、この件はいくら議論しても合わないでしょうね。というのは、G3さんは各球団をひとつの会社に例えてますが、私はNPBを1つの会社、とまではいわなくても「強固な共同体」と思ってます。現実はそうではないとしても「そうあるべき」というのが私個人の根本的な考え方。
G3さんのお考えを否定する気はないけれど、私はプロ野球のあり方が「反社会的」とは全く思いません。国民の多数派がどう思うかは全く見当がつきませんが、私も国民の一人です。
「新聞が『国民の信頼』を得なければいけない存在」というのは全く同意です。私が記事を書いた動機のひとつが、「理念が削除されたという事実」がマスコミによって報道されなかった」ということですから。
念のために書いておきますが、私は必ずしも「2008の理念を頑なに守れ」ということではないですよ。現実にあった形に改変したいというのなら、議論をして改定し「今後プロ野球はこういう方向で行きます!」と宣言すれば良かったのです。その上でファンのその理念についての反対を含めた意見が世論となって、その後どうなっていくのか・・・みたいに進んだ方が良かったということです。