フレッシュオールスターでライト森下が先制2点タイムリーを含む3安打3打点でMVPを獲得。センター井坪もダメ押しとなる2点タイムリーを右前に痛烈に放った。門別は先発投手として2回を投げて勝ち投手、桐敷は3人ピシャリで9回を締めた。サードで先発した高寺は2打数凡退で途中交代した。
9年前の2014年7月17日、長崎で行われたフレッシュオールスターゲームに高卒ルーキーとして臨んだ横田慎太郎は、7番レフトで先発。2打席凡退で途中交代した。
2014年度フレッシュオールスター・ゲーム 試合結果
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3年目となる2016年、金本知憲新監督に抜擢されて一軍キャンプ、オープン戦で大活躍し、開幕スタメンを獲得。その後一軍公式戦ではオープン戦のようにはいかず二軍へ。飛躍が期待された4年目の2017年に脳腫瘍が発覚、一線を退かざるを得なくなり、6年目を終えた2019年のオフに現役を引退。
富山でフレッシュオールスターが開かれたこの日2023年7月18日、28歳で亡くなった。
一所懸命なスイング、一所懸命な走り、一所懸命な守備、一所懸命な闘病、一所懸命なリハビリ、一所懸命なチャレンジ……。
おつかれさまでした。合掌。
コメント
フレッシュオールスターは森下がMVP、門別が勝利投手、井坪タイムリー、桐敷のクローズと良い気分でしたが、
横田慎太郎さんの訃報で頭が真っ白になりました。
横田慎太郎さんのご冥福を心よりお祈りします。
体格にも恵まれ、俊足巧打そして投手もやっていた強肩。病気なく順調に行けば今ごろ中心選手に育っていたであろう好青年でした。
鹿児島の甥っ子と同級生でまだ28歳、若過ぎる、辛過ぎる。
そしてお父様の真之さん、息子さんが闘病中の中、私の母校の鹿児島商高の監督を3月まで勤めて頂きありがとうございました。
奇しくも、甲子園大会鹿児島県予選では慎太郎さんの母校鹿児島実高に激闘の末延長戦(8-7)で敗退しましたが、
今年は初めて自分達のライバルだった鹿児島実業高校を応援したいと思います。
子供が親より先に逝くなど考えただけで涙が出ます。
私には とても耐えられません。
ちょっとオールスターを楽しむ気分にはなれないです。
野球も取り上げられた挙句、人生まで28歳で召された横田慎太郎さん、こころよりご冥福をお祈りします。
病後をずっと支えておられた川藤幸三さんにも感謝を述べたい。
早すぎます。寛解、再発の繰り返しの長く辛い闘病生活は想像を絶するものだったと想像します。横田慎太郎さんご冥福をお祈りいたします。
FASGはタイガースの選手が多く出場しましたが森下MVPは見事でした。野口との競演で見事勝利に導きましたが甲乙つけがたい活躍でした。右翼へ引っ張り込んだHRは強烈でした。タイガースの選手もインハイストレートをあれくらい振れる選手が出てくればと思いました。桐敷は1イニングだったので目一杯行ってましたがいいストレートだったと思います。変化球投手のイメージでしたがあの速球があれば上でももっとやれると思います。次のチャンスは逃さず掴んで欲しい。
和田監督のインタビューまで観てましたが相変わらずの真面目な応対に懐かしさを感じました。後半戦に上で活躍できる選手を待ってます!
大事なことを言い忘れました。
改めまして、ご冥福をお祈り申しあげます。 合掌。
とらかっぱ様に間違えてコメントしてしまいました。
申し訳ありません。
壮絶な闘病生活を生き抜いた横田の為にも壮絶なペナントレース勝ち抜いて欲しいです。
言葉になりません。
ご冥福をお祈りします。
速報が流れての中が真っ白になってしばらくして涙が流れました。
そのあと矢野元監督のコメントを読んで再び泣きました。
「野球人として人としてあんなまっすぐな人間はいない、横田から教えられたことを思えば弱音なんて吐いていられない。短い間だったけど一緒に野球をやれたことは心に残っていく」
いろんなことを教えてもらいました、ありがとう、あなたのことは忘れません。
ご冥福をお祈りします。
横田慎太郎さんの訃報に驚きました。
そして涙が止まりませんでした。
最初はいつまでも出てこない、怪我なのか病気なのかと気をもんだことを覚えています。
脳腫瘍と分かった時は驚きましたが、その後の病気との戦いははかりしれないものだったのでしょう。
早く元気になって帰って来てくれることを願っていました。
それからも大変なリハビリだったのでしょう。
最後の奇跡のバックホームを成し遂げた時も泣きました。
ご冥福をお祈りいたします。
MVP森下に威圧感ある打撃フォームの井坪。門別、桐敷も好投して虎の未来は明るいと思っていたらいきなりの訃報。2016年金本体制で高山との1.2番コンビに奇跡のバックホームを思いだして暫く涙が止まらなかった。
同郷の虎ジジイ様がもっと深い悲しみなのは当然と思う。
息子は同年代だし、ふと声を聞きたくなった。出てくれなかったけど…。
出来ればB.ケラーがいない今、#24は故遠井さんや桧山さんが背負われた重い番号ですが、たとえアレ出来なくとも今年と来年はベンチの中にユニを掲げて欲しい。
2016年超変革打線の2番バッター
当時初めて沖縄キャンプに行った私は、まだ桧山さんの24番を受け継いだ選手としか認識ありませんでした。メッセと榎田投手、当時ルーキーやった坂本捕手のサインボールを貰えて満足していたあのキャンプ。開幕してチームにいないタイプの打者が出てきたという印象に変わりました。
後半戦は横田さんと同期入団選手はもちろん、他球団のドラ1同期選手も今阪神にいます。無念の想いをとにかくアレに繋げて欲しい。
光り輝く星に
久しぶりに背番号86 和田監督のインタビューを見た。ベンチで鼓舞していたのだろうか、声がかすれていたけど、語り口調も体型も8年前とあまり変わりがなかった。その監督のもとで若虎たちが弾んでいる。森下貫禄のMVP。井坪のパワフルなバッティングもいい。生で見られなかったけどピンチを断ち切った門別が勝利投手。桐敷がきっちりと幕を下ろした。楽しみが広がる。
どれどれ寝る前にMVP森下の記事を読んどこかと、SmartNewsの画面を開くと飛び込んできたのは悲報だった。エッ!眠気もぶっ飛んだ。あれこれ記事を読み漁る。いきついたのは、南日本新聞【元阪神・横田慎太郎のくじけない】。2022年1月から毎月1年間、12回にわたり掲載されていた横田慎太郎のコラム。探り当てたページは1月から12月までが都合よく掲載されていないものだから、検索画面で表示されたページを読み、しばし写真に見入って、また検索を繰り返す。
6年間のプロ野球人生。光り輝いたのは一瞬だったけど、大きな感動を与えてくれた。和田監督のもとの新入団会見。岩貞、梅野、岩崎、陽川、山本と同期だっんだ。高卒はひとりで可愛がられたようだ。入団からレギュラーを目指して練習に明け暮れた2年。2016年、金本Tigersが掲げる超変革の象徴となった髙山との1.2番コンビで臨んだ2016年3月25日京セラドームの開幕戦。見事に盗塁を決め、先制のホームを踏んだ。初安打は2戦目にショートへの内野安打。そして左前打。3戦目も2安打。ワクワクさせてくれた開幕3連戦だった。打って守って走れる待望の糸井、柳田クラスの大型外野手の誕生を信じて疑わなかった。
プロの壁を突き破るべく翌年の沖縄キャンプ。注目を集めていたのに突然姿を消してしまった。あれから7年。病魔との闘いの日々。故郷鹿児島で講演活動をされているものと思っていたけど、悲しくて悲しくてやりきれません。奇跡のバックホームの文庫本が発売されていたことも知らずにいた。よく頑張ったんだね。本当にお疲れさまでした。合掌。
どうか阪神球団には、背番号24を光輝くものに、大切にしてもらいたいものです。
残念というか。無念というか。
横田慎太郎さん。
ありがとうございました。
御冥福を御祈りいたします。
フレッシュオールスターゲームでは覚醒中の森下がやっぱりな活躍と井坪と門別のやっぱりええやんの活躍と高寺頑張らんとアカンよ。の感じでしたね。
門別は初球攻撃の餌食になるかと思いましたが、よう耐えましたね。
森下は後半戦はガンガン頼むよ!
頑張ろう日本!
昨日は、仕事で放映を見られず、21時に帰宅して、森下のMVPとの報に「やった!」と喜んでいた矢先。
18日、横田慎太郎さんの訃報に涙が止まらない。今でも泣けてしまう。
仕事中に引退試合のバックホームをネットで見た事を思い出す。
あんなに明るく、真剣に、賢明に、真摯に、素直に全力で阪神タイガースで
縦じまのユニフォームを着て、野球に打ち込んでくれて、ありがとう。
応援させてくれて、ありがとう。
あなたの素直な野球に取り組む姿勢に学ばせて頂きました。
ありがとう、ありがとう、何度言っても言い足りない。
掛布さんは、横田慎太郎選手に、「独りに強くなれ」と声を掛け、
その通りに実直に挑戦した姿に「大丈夫だ」と確信した、とありました。
野球に関わる全ての方がそうであって貰いたい、と思います。
私の心には、横田慎太郎選手24番がいます。
ご両親、お姉さま、お疲れ様でした。
沢山の人が、慎太郎さんを思いながら、阪神タイガースを応援していきます!
本当にありがとうございます!
久しぶりのコメントになりますが横田慎太郎さんの訃報のニュースを見聞きしコメントさせていただきます。
横田慎太郎さん、ご冥福を御祈りいたします。
早いよ、早すぎるよ横田。悲しい。
久しぶりにコメントさせていただきます。速報を見て唖然でした。川藤さんのところで「益々元気です!」って動画を眺めておりました。無念だったろうと思います。押入れのデイリー紙のスクラップから彼の新人合同自主トレ前の記事を見つけました。朴訥した受け応えでしたが、希望に溢れ、キラキラしています。やりきれない気持ちです。
開幕戦、1番高山2番横田のあの衝撃とワクワクが忘れられません。今でこそ自前の選手が沢山メンバーに名を連ねますが、あそこがスタートだと思っております。横田さん、ありがとう。御冥福をお祈り致します。