【フリートーク・雑談という名の取材(情報提供のお願い)】
突然ですが、「阪神電車 勝った日 負けた日」で小ネタ募集します。
あるいは「勝った日の甲子園帰り、負けた日の甲子園帰り」てな感じのコトでもいいです。今の話だけじゃなくて、昔の話でもOK。
いただいた小ネタを参考に、本のページにできたらなぁ…と思っております。
ご協力のほどよろしくお願いいたします。
(ご注意)
・ご提案の方、採用させていただいた方には、心からのお礼の言葉をさしあげる予定です。
・謝礼の「何か」はありません。申し訳ございません。
・参考にさせていただくだけで、原文ママでは掲載しません。あしからずご了承ください。
・こちらのコメント欄に書いていただいたものの著作権は常に書かれた方ご本人にあります。ただし、今回それを参考に書籍に掲載された小ネタについて、何か権利を主張されるようであれば、情報のご提供はしないようにしてください。あくまでもご協力いただけるかただけ書き込みをお願いいたします。
以上、よろしくお願いいたします。
コメント
「昔はどんちゃん騒ぎで大変だった記憶がありますが、最近はもうない?」
とか、テキトーでいいので、コメントいただけると嬉しいでーす。
阪神電鉄の試合終了後の配車ノウハウは間違いなく日本一だと思います。それにひきかえ最悪なのは西武所沢です。お客を乗せてから15分は動かない。友人は気分が悪くなりました。toraoさんのご意向に沿ったコメントではないかも分かりませんが、日頃思っていることを記させていただきました。
【勝った日】
随分と昔の話ですが、甲子園から「六甲おろし」やHMが電車内であちこちで響き渡る。
まさにドンチャン騒ぎ。
それは終点の梅田や三宮でもまだ終わらない。
乗り換えの各方面に、小集団となり散らばりながらもまだ終わらない(笑)
梅田の地下街でも終わらない。
夜の街を応援スタイルのまま歩いていると、店のオッちゃんオバちゃんたちが「阪神勝ったか?」と
声をかけてくる(彼らの殆どは勝ったのを知っている)
それが客引きのセリフ。
そのセリフに乗って店に入る事も・・・
おっと、随分電車や駅から話が離れてしまいました(笑)
【負けた日】
電車の中では、負けた原因を求めて選手や首脳陣への批判が飛び交う。
でも勝った日に比べて、声のトーンからは3段階くらい低い(笑)
そんな乗客の中に、全く別世界のような素知らぬ顔をした人たちがいる。
でもその人たちの多くが、勝った側の相手チームのファンだったりする(笑)
中には堂々と、相手チームの応援ユニを着たまま帰る人もいる。
でも阪神ファンは、何となく自分まで負けたような気分で、苦々しい顔をしながらやり過ごしている。
勝った日も負けた日も、試合終了直後の甲子園駅の改札からホームまでは、イヤになるほど大混雑です(笑)
京都から週に多い時は4回は甲子園に通ってました。勝った帰りは阪神も阪急もウキウキで全く疲れも感じません。もちろんナンバージャージ来たまま(私3主人と娘は24)時には乗り換えの梅田で「今日はセッキーありがとー」なんてハイタッチ求められたり。が、負けた日の阪神更に阪急梅田から河原町までが異常に長く辛く、もうやめよう、もう甲子園には行かないと思いながらまた次の試合は意気揚々と練習からしっかり見ます。娘に下品な関西弁だけは教えない様にはしています(笑)くたばれ読売は我が家では「がんばれ阪神」又は「がんばれ藤浪」(娘のお気に入り)です。ジャビットも引きずりまわしません。
初めて甲子園観戦から梅田方面に帰った時、直通特急に衝撃を受けましたw
あと私の場合惨敗ムードの時は、友達と一緒に9回前位にさっさと帰ってたので、乗客にはわりかしそういうドライな阪神ファンが多かったと思いますw
甲子園からの観戦客にしてもユニフォームを着たりしてる比率が少なく、あまり濃い車内ではありませんでした。
一方勝ち試合の時は、甲子園を出るのが遅くなるせいもあって濃厚極まりない車内ばかりでした。
最近はどうか知りませんけど。
岐阜から甲子園に遠征し負けた日
応援に疲れ果て、やるせない暗い気持ちで、阪神電車に仲間とともに無言で乗っていました。
ふと見ると、お二人とも虎のユニフォーム姿でつり革につかまっている老夫婦が。こんなん(ひいきのチームのユニフォーム姿の老夫婦)東京ドーム帰りでも、神宮帰りでも、横浜帰りでも、ナゴド帰りでも、見たことないわ、さすが、阪神ファンやな〜、さすが聖地甲子園やな〜と、お二人の姿を見ていると寒い心が暖かくなってきました。
ご主人が奥さんに選手はええんや。負けたのは和田の采配があかんのや」と何度も繰り返し怒ったような口調で話しています。でも奥さんはずっと頷きながら、穏やかな顔をして聞いておられました。
ますます心が暖かくなりました。
家族の用事があって、現在住んでいる田舎町へ1週間ほど帰った時です。
2005年のリーグ優勝。それこそドンチャン騒ぎでした。
阪神優勝で私もじっとしていられない状態でしたが、地元の阪神ファンによる提灯行列をしていたのです。私も入れてもらいビールをごちそうになり帰ったので、其の後の六甲颪、万歳、乾杯は何時ころまで続いたのかよくわかりません。
あくる日は二日酔いで悶えていた人もいたようでした。
でも嬉しさ爆発で幸せでした。
あれから早や10年、都会へ出て行った人、年老いた人、亡くなった方。人口も少なくなりました。
もし今年「阪神優勝!」なんてことになれば何人の阪神ファンが集まって、あの熱いお祝いができるのか解りません。
とにかく「優勝!」という文字に渇望して久しいです。
初めて聖地巡礼させていただいた時なんですが(まだ一度しかありません 汗)、自家用車で早く着きすぎて、AM7時くらいでしょうか阪神帽に阪神ハッピで「おはよう、仕事に行ってくるわ〜」とご近所さんに挨拶されチャリで颯爽と通勤されるオジサマに出くわしました(トラトラパーキングあたり)。関東では有り得ない出来事にかなり驚きました。
甲子園の立地も住宅街の中にドーンと!スゲ〜と思いましたが、ご本「私鉄 阪神電気鉄道」で合点がイキました。負けたときは帰りの電車内(特に大江戸線)で見知らぬオジサマ、オバサマにつかまり仕方がないのでグチを聞いてあげてました。
追記です
思い出したのですが、独身の頃よく一人で観戦に行っていました。まだあるかわかりませんが、阪急梅田駅に立ち飲みでビールが飲めるスポットがあって、デイゲームで帰って途中ちょっと一杯と立ち寄った時(勿論勝ちゲームです)知らんおっさん達にビールを次から次へとご馳走になり、(透明のプラカップで確か当時で一杯250円か300円位)気が付いたら知らんおっさん達と宴会してました(笑)何杯飲んだかわかりません。一人で観戦していると、勝ちゲームではビールはいつも知らんおっさんやおばさまにご馳走になってました。最近では娘がアイスクリームのモナカをご馳走になってます。電車とは離れました。すみません。
はじめまして。
92年に初めて甲子園に観戦に行った勝ち試合の帰り、
高架下でさんざん盛り上がったあとの梅田行き阪神電車の中で
私の乗った車両全員で何度も何度も「ウェーブ」をしました。
関係ない乗客も巻き込んだとっても楽しい感動的な空間でした。
あれから何度も甲子園には行きましたが、
「車内ウェーブ」を体験したのはあの時1回きりです。
家でテレビが観られず、出先で携帯の速報を見る時に、たまらなくドキドキしてしまう。
人差し指で結果を隠して、少しずつ指をずらしていく瞬間が熱い。
サヨナラ負けなんて喰らった日にゃ怒りを通り越して「テレビで観れなくて良かった〜!」って思ってしまうヘタレ。
今年は良くも悪くも大事な1年になるだろうから指をずらす回数が減るといいな。
タイガースが勝った時の電車の社内はとにかくお祭り騒ぎでした。
知らない者同士のハイタッチに始まり、社内でヒッティングマーチの大合唱。六甲颪の大合唱。それは永遠続きます。後は西田辺様が仰ってる通り。
負けた時は葬式みたいな雰囲気でした(笑)
今は勝っても負けても静かな社内になりました。
関係ない方もいらっしゃいますからね(笑)
こんにちは!遅くなりましたがコメントさせて頂きます。
以前金沢の子虎さんも記載されていましたが、帰省時のデーゲーム勝利後、高架下での応援歌新旧!メドレーで喜びを爆発させ懐かしさにどっぷり浸り、その内まだ陽のある内に応援団が阪神甲子園駅に移動を始め、大声張り上げ合唱していたファン群がその後に連なり、客観的にその状態をまるで“ハンメルンの笛吹”状態やな‥と思いながらも応援歌を合唱しながら行進を続け~電車に乗り~梅田改札を出て、翌日用事のある妹に「行ってくれてええで」と言われ、後ろ髪を引かれながら家に帰った事があります。その後御一緒していたらどうなってしたのでしょうか‥
真弓さんが引退後解説されていて、試合後甲子園でファンがスタンドで歓喜の六甲颪と応援歌を合唱し続ける様子を見て「こんなにもファンが試合後も喜び続けてくれているとは知らなかった」と仰っていました。
負け試合後は、どの球場でも同じですが、勝てば喜びを爆発させるファンが、冷静にトーン抑え目に、試合の講評・分析を口々に呟き語っている姿は、自分も同じなのですが印象的です。