そうか!試合数では阪神がもっとも多いのか。そりゃそうだ。
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大混戦のセントラルリーグ。過去もっとも混戦に終わったのが1973年シーズンだ。
優勝の巨人が貯金6。2位の阪神が貯金5。以下中日、ヤクルト、大洋と続き、最下位の広島でも借金はわずか7つだけ。ゲーム差6.5の中に6チームがひしめいた。
この年は阪神80年の歴史の中でも最悪の1年だ。2試合残して、あと一つ勝てば優勝という状況から2連敗。中日戦では、投げていた中日の星野仙一が「打っていいんだぞ」と思いながら投げているのに、ガチガチの阪神打線はまったく打てなかった…という話は私も以前に星野氏の口から直接聞いたことがある(自慢)。
で、最終戦は甲子園で巨人に完敗。どっこも良いところのない大敗で優勝をされわれ、観客が暴徒と化してしまった。この事件も最悪だし、江夏氏が著書に記しているように、当時の球団フロントが「2位がいいから、勝ってくれるな」と現場に指示をしたと言われていることも最悪。この年を境に強かった名門・阪神タイガースは瓦解し、セのお荷物球団に成り下がっていく。
いくら混戦だからといって、そんな歴史は繰り返してはならない。それを踏まえて、今度はやり返して欲しいものだ。
さて週末はベイスターズ3連戦。今日の天気がいちばん心配かな。ここまで分の悪い相手。中畑監督は、「献身的なプレー、アグレッシブなプレーをお互いが評価し合う」いい雰囲気のチームを作り上げた。どん底でも士気が低下しなかったチーム。ぜひとも勝ち越して、オールスターまでの主導権をガッチリ掴みっぱなしで行きたい。
コメント
すいません、素朴な質問なんですが、なんで1年遅れのスタートなのに阪神が巨人より試合数が多いのですかね?
米遠征ってありますけど何試合したんだろう?
日本シリーズとかポストシーズンはカウントされないのだろうか?それなら巨人がぶっちぎり。
数試合差とかだと、雨で流れて抜かれることは・・・
いろいろ考えてしまいます。。
ざっと過去データを見ますと、昨年度終了時点で
阪神:9926試合
読売:9900試合
阪急-オリックス:9919試合
中日:9912試合
となっており、この4球団が通算10000試合を今年度中に達成する見込みです。
試合数の差は、遠征期間を考えると記事にもある東京巨人軍(当時)のアメリカ遠征だけでは
ない気がするんですが・・・
まぁ、細かい事はいいですか(笑)
Wikiによると。
読売の結成が1934年で、当然対戦相手がいないので0試合。阪神の結成が1935年12月。この年もリーグ戦が行われていないので共に0試合。
中日や阪急などが加盟しリーグ戦が始まったのは1936年。この年の春季リーグに読売はアメリカ遠征のため不参加。また秋季リーグ期間中にトーナメントや、優勝決定戦などを行ったため、チームごとに試合数に差が出たものと思われます。
1973年の事ははっきり覚えています。
小学校の校庭でソフトボールの練習をしている我々をほったらかして先生達が用務員室のテレビにかじりついて野球を観ていました。
そして、そっちから歓声が上がったので「巨人勝ったか?!」と子供心に悔しかった事を覚えています。
そこにいろんな「大人の事情」があった事を知ったのは何十年も後ですが、忌まわしい過去です。
さて、セ・リーグの超団子レースですが、個人的には「捕手難」が起因しているように思います。
梅野育成に失敗?したタイガース、小林育成に失敗した讀賣、未だに締めは谷繁以外任せられないドラゴンズ、ベテラン捕手が不在な為抑え捕手がいないベイスターズ。カープとスワローズは打撃のいい會澤と中村という正捕手に近い選手は出てきているものの、ややリードに難あり?!
今季は梅野を育てたかった我がタイガースですが、混戦になった為余計に使い難くなりました。とにかく一人前になるのに時間はかかる、そして超ベテラン二人と若手一人のやり難い一軍体勢の中ですが、一人前になれば長くプレーできるポジションなので、梅野には焦らず、じっくり大きく育って欲しいです。
岡崎・小宮山・清水は賞味期限ギリギリ、本来はこの三人の内誰か一人育っていれば、年齢的にも一番脂が乗っていて良かっのですが何とも不甲斐ない。でも、昨日も書いた遅咲きの矢野さんの例もあるので腐らずガンバレ!
今日は中止っぽいですが、苦手ベイスターズに明日からメッセ&藤浪で連勝するチャンスかも。
虎ジジィ様、お猫様は恙なくお過ごしですか?(*^^*)
捕手の育成は難しいですね。我慢して梅野捕手を育てたかっただけに、打線の不調は痛かったです。ただ、投手陣の調子との兼ね合いもありますが、シーズン初めの主戦クラスの成績や、オリックス戦での投壊なんかを考えると、梅野捕手もまだまだ実力的に厳しかったのも事実でしょう。
また優勝を狙える現状を考えると、勝負より育成に重点を置く監督っているのでしょうか?去年までのDeNAや数年前の広島なら、おもいっきて若手捕手に経験を積ませるって起用方法もあるでしょうが。
投手にしても、自分の生活が懸かっているわけで、未熟な捕手につきあってはいられないというのも本音ではないでしょうか。
経験を積まなければ成長できないでしょうし、そのために1軍に帯同するほうがいいのか、2軍で多くの試合に出場するほうがいいのか。ほんとうに考えれば考えるほど難しいですね。
ただ、まだまだ2年目の梅野捕手ですから、虎ジジィ様がおっしゃるように焦らずにじっくりと大きく育ってほしいですね。
返信ありがとうございます。
2003年の浅井などが、矢野・野口が居たため今の梅野のように、毎試合ベンチだけの捕手でしたが、あの時は常にベンチで星野監督が近くに座らせ「次代はお前が正捕手だからしっかり勉強しとけ」みたいな愛情が伝わりました。
何となく、そんな愛が和田監督からは伝わらないんですよね。
虎ジジィ様。
そうですね、闘将星野監督は選手一人ひとりに気配り目配りがあって、愛情を感じられましたね。星野監督の熱量を和田監督に求めるのは酷かもしれませんが、もう少し何とかならないかと思います。
1973年・・・7歳かぁ
ほとんどタイガースの成績についての記憶は定かではありませんが、
当時親父の機嫌がすこぶる悪かった覚えがあります(笑)
「2位でええんや、優勝したら金かかるさかいに」とかあまりに有名に
なっていますが、どこからどこまでが真実なのかも今となっては闇の中。
いかにも言いそうではありますけど。
まぁ、今の球団首脳にそんなバカげたことを言う人はいないと思いますが
やっぱり現場への介入は最小限にとどめて欲しいですね。
今年は80周年に5000勝に10000試合とメモリアルな行事が目白押しですね。
球団としても、銭儲けの恰好の材料。
それはそれで結構なことだと思います。
でも、「節目やから」「メモリアルだから」と現場に野球以外の要求は極力避けて
もらいたいのも本音。
オフだとか、試合後だとかに参加するなら良いでしょうけど、真剣勝負に記念も
何も関係ないですからね。
チームを野球に集中させる環境づくりも球団の大事な仕事ですから。
梅雨空が心配ですが、中止・実施の判断も的確にお願いしたい。
万が一負傷でもしたら、損失は計り知れないですからね。
名古屋で中日に引き分け以上で優勝。
中日に相性の良かった上田二朗でなく江夏を先発に
起用したがゲームを落とし、翌日の甲子園では上田が打たれ、チームは高橋一三の前に沈黙。ゲームそのものの記憶は殆どないけど今でも記憶にハッキリ覚えていること。
逆転優勝を信じた巨人の選手を乗せた新幹線がゲーム中の名古屋球場レフトポール際を通過している映像が試合中継中に流れた。その時、巨人の選手が車内から名古屋球場の方へジャイアンツフラッグを掲げていた。奇跡の逆転優勝を信じてたんだろうな。翌日 阪神は大敗し巨人のV9が決まったのだが、その時、本気で巨人を嫌いになり阪神を応援しようと思った。
この1973年の混戦の事は数日前に私も軽く触れたが。
改めてこの話題が出るなら、当時は既に球場に観戦に行っていたので少し覚えている事を。
記録と記憶で少し違いがあるかも知れないが。
この年は混戦が続いて阪神自体も優勝できるような感じでは無く、死のロードでは相変わらず負け越したが終盤で5連勝位して一気に首位に躍り出てトラオ氏が書いている中日球場でのデーゲームでの試合を迎えるのだが。
色々な人がこの事に付いて触れているんだが、この試合は対戦投手の星野より江夏がニヤニヤしながら最初から最後まで投げていたのが印象的で、なんで江夏はこの大事な試合でニヤニヤ笑ってるんやとずっと思っていた、勝つなと言われていたとか言う話も後日談で聞いたが、その時はテレビに向かって江夏がニヤニヤしているなら上田二郎投げさせたら良かったやろとテレビに向かって何回も言ったのは今でも覚えている。
池田の打ったライトへの同点ホームランと思った打球を井上だったかな?ファインプレーされたんだよね、この池田選手の事はあとで触れます。
で、最終戦なんだけど球場に行くのは親に禁止され大慌てで家に戻ってテレビを付けたら既に2点取られて負けていた、正直最後まで見たけど後の記憶は全くなく、最後にカークランドが高橋一三から三振して試合終了、阪神ファンが乱入して胴上げさせなかったのは有名な話だが、阪神ファン=ガラが悪いはこの事件以降言われている気がする。
で、池田選手、強打好守の好きな選手だったが、8月の初め死のロードに向かう前の甲子園9回2死1.3塁で打者は黒江だったかな、投手は江夏でセンターにライナーが飛んで終わったと思った瞬間に、本当に池田が消えたと思ったくらいに急に倒れて逆転される、球場で見ている側は最終回にまた逆転したらいいと思っていたが、本当に最終回の攻撃はなすすべもなく終わり。
この試合が後で言われる世紀の落球事件、阪神ファンなら一度は聞いたり記事を読んだりしたと思う。
と言ってもこれは最後の二つに負けてその前に1つ勝っていたら優勝できたと後付けでされただけであり、この試合の時点で阪神は3位くらいだったし、読売は5位くらいだったんじゃないかな?ここは記憶がかなり曖昧なくらい混戦だった。
今年は巨人が弱いのになんで阪神までお付き合いするねんと思っていたな。
巨人の連覇を止めるのは別のチームでは無く阪神しかないと思っていたから。
翌年中日が優勝して巨人の連覇止めたのは複雑な気分で日本シリーズはロッテを応援した記憶がある、星野が当時リリーフで出て来たら打たれろ打たれろと思っていた。
夏休みの終わりくらいに江夏が延長戦でノーヒットノーランサヨナラHRもこの年で甲子園に見に行っていたが、相手は中日の松本で独特のフォームから阪神打線翻弄して両投手とも先発で11回まで投げるなんて今では考えられないが当時は当たり前だったんだろうな。
支離滅裂内容なんで、飛ばして他の方のコメントをお読みください。
後一つ勝っていればの後付けといえば。
前日上田→古沢→江夏のリレーで読売に勝利し首位に立ってむかえた10月11日の対読売25回戦。
阪神は2回までに7点を先取し堀内投手をKO。阪神の先発は江夏投手で誰もが勝利を確信。しかし江夏投手は疲労から精彩を欠きこちらも4回途中で降板。阪神は古沢→上田→権藤→谷村と継投するも、10-10のドロー。この時読売の最後を投げたのが、プロ二年目で9月に1軍昇格を果たしたばかりの小林繁投手でした。
もしも、この試合に勝っていれば・・・・・、歴史は違ったのでしょうか?
あの試合、巨人の萩原がホームラン打ったんだよな。万歳して、ベース一周する姿が焼き付いていますよ。長嶋が指を骨折した試合もあの試合だった。壮絶な試合でしたね。最終戦は、理科室で教育テレビを見る予定だったんですけど。先生に無理言って、野球に代えてもらいました。
チャンネル代えたら、9対0でした。
だからこそ、昨年のクライマックスで4タテをしたことは、本当にうれしかった。
一度でいいから、巨人が2位での優勝を見たい。
連敗中でも「俺の責任。我慢我慢。」と言ってた中畑監督。和田君は「個人のパフォーマンスが上がれば」の繰返し。和田君なりの我慢だったんだな。
嘘かまことか、中畑監督が「5割でいいから交流戦は」と言ったから連敗が始まったというニュースがあった。指揮官のネガティブ発言が影響するという典型的な事象。それを考えればタイガースの選手の、なんてタフなこと❗
ただ、今年優勝しても「最低のセ・リーグ(言い過ぎか)での優勝」という象徴になる。パ・リーグの優勝チームからすれば「余裕綽々で日本一❗」となる。期待したいのは、そこでの日本一❗これぞ和田君マジック❗けど優勝しちゃったら和田君続投…。あぁ…。
今日は無理でしょうか?消化試合数の少ないタイガース。後半タイトな日程がまってそうで不安です。
早く若い投手を何とかしないと・・・。
私も73年の事はうっすらですが覚えてます。2位でいいなんて今では考えられないですね。
今、甲子園はシトシト雨が降ってます。早く中止発表すればいいのに、がめつい阪神は電車賃収入の為にいつも中止発表はギリギリですね。
今日は中止になるから明日はスライドでランディ、あさっては藤浪で連勝お願いします
あの試合、カークランドの三振をリアルタイムでテレビで見た記憶が有ります。
今年はぜひ優勝して欲しいですね。ベイスターズは足攻が有るから十分に気を付けて。甲子園で3タテされた借りを返さないと。
讀賣が129試合目のヤクルト戦に敗れ2試合を残す阪神に初めて『マジック1』が点灯!
同日だったかな?同じ年に始まったパ・リーグの前後期戦のプレーオフ第1戦南海‐阪急戦の手記を書く為に報知新聞の依頼で試合を観戦した江夏豊投手。シーズン中の為、試合後野田の球場事務所に報告に行った江夏投手に長田球団社長の『次は負けてくれ!優勝したら金がかかる。2位がエエんや』のまさか一言(゜〇゜;)怒りのあまり社長の机をひっくり返して立ち去った江夏投手…。
そして迎えた阪神129試合目は中日球場〔現ナゴヤ球場〕の対中日戦。先発は中日キラーの上田ではなく、ローテーション通り江夏!優勝を意識する以上に、球団事務所のこともあり力みかえる江夏から得点を奪う中日打線。中盤、力みが消え調子が良くなってきた江夏を降板させた金田正泰監督。一方『どうぞ打ってください』と言わんばかりに棒球を通すだけの星野になす統べなく凡打の山を築くガチガチのダイナマイト打線…(T0T)2‐4で敗戦●池田のホームラン性の打球を『取る気はなかった。たまたまグラブを出したら打球の方で勝手に入った』と試合後に語った井上外野手…。『今までで一番嬉しくない勝ちやね』と星野投手…。
それでも甲子園の最終戦、対讀賣戦に引き分けでも優勝のタイガース。勿論超満員の甲子園、上田二朗‐高橋一三の先発で試合開始。いいところまるでなく、0‐9の完敗●讀賣の逆転優勝(ToT)試合終了とともにグラウンドにフアンが乱入、王がゲタで殴られるなど胴上げなし。荒れに荒れた甲子園球場…(。>д<)暴徒化した阪神フアンの沈静に機動隊まで出動する大騒ぎに…( ゜o゜)最後は怒り収まらない阪神フアンに金田正泰監督が異例の御詫び会見…。
当時小学3年生、讀賣の連覇を阻止するチームとして阪神を応援し始めた一年目の悪夢…。その後、何度となく雑誌やテレビで取り上げられた昭和48年のペナントレース。曖昧な記憶とともにあまりにも?が多い最終戦に纏わるあれやこれや…。違ってたらゴメンナサイ。
2位への手引き金田正泰監督、優勝すると金がかかる・2位でエエんや長田球団社長、そして暗黒の久万俊二郎オーナー…(`へ´*)この3人だけはどうしても許せません!