正月2日の朝は、箱根駅伝をぼんやり眺めたりして過ごす。高校野球もたいがいだが、この箱根駅伝というのも相当だ。正月早々、人々が喜んで楽しんでいるところに水を指すのもどうかと思うのでサラッと流すが、もしこの「正月の全国中継」がなかったら、ここまでの注目を集めるイベントにはならなかったろう。
スポーツイベント(興行)とメディアは一心同体だ。また、感動を伝えるということと、人心を惑わすということは表裏一体だ。だから、スポーツ好きには、メディアの影響を受けやすいという要素が大いにある。
メディアの情報によってより楽しめるようになるのはあるが、どこかへ誘導されることには警戒心を持っていたい。同じ映像を見ていても、焦点が当たっているポイントは人それぞれであり、感動するポイントもひとそれぞれなのだから。
ただ、一次情報以外を遮断することはできないし、それでは情報が足りない。多くの場合、すでに意図を持って切り取られたメディアの情報を受け取るしかない。だからせめて、その断片から全体を類推する努力をしなければならない。方向づけしようとする意図を遮断し、自分の尺度で情報を処理すること。何が自分の心を動かしているのを見極めることを心がけたい。
とくに阪神タイガースはメディアにとっておいしい商品だけに、「悪徳商法」には気をつけないとね。
顔を歪めて走る若者たちを見ながら、そんなことを思った。
コメント
昔は楽しんで見てたんですけどね。
最近は感動が押し付けがましく感じるようになってきて見なくなりました。
つくづく駅伝とは残酷な団体競技だと思う。
なぜなら大抵の団体競技は、たとえ競技中に負傷者がでても交代要員が認められるというのに、この競技は許されない。
なので先日あったように、チームの責任感から、たとえ足が骨折しても死にものぐるいで競技を続けざるを得なくなる。
彼らが背負う重圧と責任感は言葉に尽くしがたい。
本当に過酷な競技です。
「箱根駅伝」
関東の大学の駅伝大会ですよね?
全日本選手権よりも注目される関東大会。
まぁ、仰る通りマスコミの力が大きいんでしょうね。
そう言う私もスポーツ番組は好きで見るんですけど、ちょっと「ん?」と思うのが
故障を押して走る選手と、タイムオーバーで襷を繋げられない部分を余りにも
フォーカスし過ぎるんじゃないかと言う所。
その辺も何だか高校野球中継と似てますね。
炎天下の中、足をつりながらも投げ続けるエースや、大差負けの最終回での一塁への
ヘッドスライディングとか。
学生の苦悶の姿を暑さ寒さを凌いだ部屋でテレビを見る。
構造的にはよく似てますよね。
スポーツを見て感動するのも、感動する部分がそれぞれなのも自然な事なんですけども
「はい!ここ感動する所ね」と、押し売りされるとチョット違うんじゃないのって
気がします。
タイガースもね・・・・。
あまり細かい事は申せませんが、まず球団の広報からシッカリしないとね。
初めトラオさんの文章の意図が理解できなかったのですが
みなさんのコメントで納得。
確かに注目や人気を集め続ける事は大事ですし、見る人達に
感動を受ける部分を拾うのは良い事なんでしょうけど
「感動の押し売り」はスポーツの本質から離れていると思います。
プロレス的なエンタメ演出ではなく、真摯に勝負に取り組んだ裏の
見えない所での努力や駆け引きやドラマがピックアップされるのが
理想的なのでしょうが、なかなか転がってないし見つからないもん
なんでしょうね。
箱根駅伝はあの球団が関わってる事なんで、あまり興味が無いですね。
走ってる選手たちに関係は無いんですが、あの球団がねぇ…
どうもあの球団の名前を見ると拒否反応があるんで…
メディアの力があるからこそ学校側もお金をかけられるという部分もあるので、競技の発展にとってマイナスなだけではないでしょうが、運営側が選手を守る環境を作らなければいけないんだろうと感じますね。
高校野球の話ではありますが、新潟県高野連が春の大会で導入する予定の100球制限は、それこそメディアがもっとフォーカスすべきだと考えています。
箱根駅伝は好きで見ますねえ。これを見ながらのんびり過ごすのが正月の理想です。
市民ランナーには想像もつかない極限状態での走りは称賛です。
出身地出身校が表示されることも楽しみで、高校サッカー中継までセットで見てます。
それを求めている視聴者がいる限り、箱根駅伝はじめスポーツの感動ポルノ化は続いていくのでしょう。演出が過剰になっているのは否めませんし、そのせいで視聴者が離れているようにも思いますが。
視聴者や読者は少しずつ変わっていると思います。いつまでもマスコミの思い通りに動くと思ったら大間違い。まずはタイガースファンが賢くなって、教えてやりたいですね。
みなさん仰ることは分かりますが、箱根駅伝については昔から変わらぬ正月恒例のコンテンツというだけで、今更感動ポルノとか思うよりも、古い昭和の時代を未だに引き継いでいるのだなぁ・・とどこか水戸黄門に近いものを感じます。
以前高校駅伝の関西の実力者たちがこぞって関東へ流れてしまうことに異議を唱えた記事を見ましたが、例え関東ローカルの大会であったとしてもここまで育て繋いできたこと、またそれに貢献している私も大嫌いな放送局を単純に批判するのはちょっとどうかと思います。
マラソンは個人の競技ですからレースを棄権すればいいだけの話ですが、駅伝で重篤なけが等があった場合はそこで記録が途切れようとも野球の代走のように代替選手を出すことを可能にしたり、選手生命を守る工夫というのは当然検討されるべきものでしょう。
時代の変遷とともにスポーツも変化していかなければいけませんが、お金が絡むことがいけないことではないでしょうし、見方は人それぞれでいいと思います。
少子高齢化の中でそれぞれの競技も生き残りを掛ける時代だと思います。
それぞれの協会の創意工夫を期待して、来る東京オリンピックを成功させて頂きたいですね。