25年後の朝

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阪神淡路大震災から25年。多くの方が亡くなり、今は亡き当時の村山実監督宅や甲子園球場など、球団や球団関係者への被害も大きかった。
その後も災害はなくなることなく、教訓が生かされている部分と、記憶が薄れてしまう部分の両方がある。その日くらいは記憶を呼び戻し、備えと気持ちを新たにしてもいい。

その意味で、ニッカンはタイガースに関連する記事をそろえてくれた。

震災死の母が導いた甲子園、阪神園芸金沢氏の25年

阪神福留「25年か」復興センバツで知った野球の力

阪神1位近本「命危なかった」震災の教訓胸に刻む

その年に大活躍したイチローはついに引退したが、高校生だった福留はまだまだ現役。その直前に生まれた近本は2年目のシーズンへ。そして私と同年代の園芸・金沢氏は、運命を変えたできごとを乗り越え、甲子園施設部長として今日もグラウンドへと赴くのだろう。

一人静かに合掌する。

コメント

  1. とらかっぱ より:

    25年。もうなのか、まだなのか人によって捉え方は様々だと思いますが、私は前者の方。実際実家は被災したし身近で亡くなった方もいる。それでも家族や自身が無事だったこともあり私の中ではだんだん風化しつつある出来事になってしまっています。今朝も出勤途中の近所の小学校では追悼行事が行われ鎮魂に訪れる人々がたくさんいました。その中にはお母さんに手を引かれる小学生の姿も。

    毎年1月17日になると関連記事が新聞に出てその日の記憶が呼び覚まされますが、辛い思いをされた方々が多くいる事を忘れず生きていきたいと思います。そしていつも思いながら出来ていない災害グッズの備えを今年こそはやっておきたいと思ってます。

  2. 虎ジジィ より:

    阪神園芸の金沢さんは亡くなったお母様と同じ年齢になったんですね。
    私も亡くなった父親の年齢と同じになった時は妙な違和感がありましたが、8歳年上になった今でも「父は年上の人」という感じです。
    急死され、残された側の悲しみは私も少なからず理解していますが、なかなか消し去れるものではないですよね。
    金沢さん陰ながら応援しています。

    甲子園大会に出場したくて鹿児島のド田舎からはるばる、当時「日本一の名門」PL高校へ入学し、夢の甲子園大会出場決定後に震災に遭遇してしまった福留孝介少年も複雑な心境での甲子園出場になったとは思いますが、もしかしたらその体験が今「年齢に負けない不屈の闘志」に繋がっているのかも知れません。
    まだまだ生きた教科書であって欲しい。

    震源地に近い淡路島出身の近本は、本人より被災してもしっかり育ててくれたご両親に感謝ですね。頑張れ!

    1995年はプロ野球も「頑張ろう神戸」でオリックスブルーウェーブが物凄く頑張り被災者を励ましたシーズンでもありました。
    一方、セリーグの被災地に近い球団は最下位で本当に情けなく感じた記憶があります。

    四半世紀、早いですね。合掌。

  3. ジュビロタイガース より:

    もう25年ですね。
    今後起きる自然災害も、人の努力で被害を小さくできると思います。
    風化させることなく、また最大限の危機管理をして、生活していくことが大事だと思います。

    合掌

  4. 虎轍 より:

    もう25年なんですね。
    仕事に行く前で、まだ眠ってた時の、この世の物と思えない揺れを思い出しますね。
    タイガース関係者も被災して村山元監督も被災されて大変な思いをテレビで語ってはった事も思い出します。
    25年経った今でも野球を観る喜びと、野球を出来る喜びとを胸に感謝し合掌。

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