記憶に残る。記憶に残す。ふつう「良いこと」と捉えられるが、それは人による。人には忘れてしまいたいこともある。
記憶はきわめてプライベートな営みだ。
「阪神」で検索すると、「阪神・淡路大震災」がトップに出ていたものだが、今は「阪神タイガース」が先に出てくるようになった。
あれから30年、イチローの「日本&アメリカ殿堂入り年」も重なり、「がんばろう神戸」を思い出す。
1995年の掛布さんはもう引退して6~7年たって、日テレ系の解説としてバリバリやっていた頃だ。
ほかの人とのかねあいもあってこのタイミングになったが、当然殿堂入りすべきプレーヤーだ。後々の人たちが、「野球殿堂」をキーに掛布雅之という選手を知ってもらえる。そんなチャンスが増えることが嬉しい。
震災30年と野球殿堂。「記憶」を思う朝。
あとよろ。
コメント
30年過ぎましたが直接被災した私は変わりなく記憶に残っています。もう人生の半分以上生きたとは思いますが一生残ったままだと思います。天災なので防ぐべき手段はあらずとも大いなる教訓となって、その先の災害に対する礎となり続けるため風化させず後世に伝えられればと思います。合掌。
掛布さんが選ばれてよかった。直接活躍を知るのはもう40代後半くらいの世代になってしまうのでしょうか。子供の頃よく真似して打ってましたがどうしても左打が出来なくて、結局右打に戻ってしまい真弓選手のフォームにチェンジしてしまいましたが(笑)タイガースの歴史と共に語り継がれていってほしいです。
阪神淡路大震災後も東日本大震災や昨年の能登半島地震と、災いに対する社会のフォーカスがどんどん切り替わっていきますが、被災した人にとっては、いつまでも災いの記憶が固定フレームのままなんですよね。
「がんばろう神戸」の合言葉でその年優勝したオリックスと対照的に阪神タイガースは最下位だったことを苦々しく思ったことを思い出しました。
あれから30年、あの頃のタイガースとは比べ物にならないくらいに良いチームに生まれ変わりましたが、当時は想像すらできませんでした。
「がんばろう30年後の神戸と阪神」
今、あえてこのエールを!
昨年は2票足らずに惜しくも殿堂入りを逃した掛布氏。
2020年の田淵氏、2023年のバース氏に続くタイガース関連の受賞。
現役選手も一人でも多く、殿堂入りすることを祈ります。
もうあの日から30年ですか。
今やすっかり復興を成し遂げたように見えますが、実際再開発事業
が完了したのが昨年の11月。
その間に経済的な事情や東日本大震災、コロナ過もあったとはいえ、
やはり本当の復興には時間がかかります。
南海トラフ地震への警戒も年々強まる中、野球が楽しめる世の中が
続いて欲しいと祈るばかりです。
日本もアメリカも殿堂入りのルールがおかしいと思う今日この頃
同時代に強力な選手が多数いたら殿堂入りが後回しになるっておかしいですよね
その時代毎の比較論で評価されるのはセイバーメトリクスぽい考え方ではありますが、積み上げた数字は時代問わず評価されないとおかしいのではと思います(そのためのエキスパートやベテランズなんでしょうが…)
1995年も2011年もどちらも些細ではありますが被災しました
改めて当時の映像を観ると、自分の周辺の人達も含めて皆その後も生きていたのは運が良かったのだと痛感します
神戸はこの30年で半分くらいの人が入れ替わり多くの人があの時のことは知らないのだとか。30代前半の人は覚えてないのだと考えるとそりゃそうですよね
長田辺りは人口は戻ったものの繁華街からベッドタウンに移行してしまったので商売されてる方達の経済面は衰退したままだそうで
今やってる朝ドラは2011年の方に移行しちゃいましたが、もうちょい今の神戸を描いても良いのではと思ったりしています…
あの時、訳あって京都宇治にいました。更に訳あってあの時間に起きていて京都も尋常じゃ無い揺れで怖かった記憶がはっきり残ってます。
幸い京阪は運行してたので大阪に帰れましたがマンションの中は…
それから上越大地震、東日本大震災、熊本大地震に昨年の能登大地震。豪雨や豪雪にコロナ。辛いことばかりの30年。
この30年でタイガースの優勝は3回。
嗚呼何と尊い3回なのかと思うど涙が出てきた。掛布さん殿堂入りおめでとう御座います。
綾小路きみまろの「あれから40年」の歌じゃないですが、これからの10年で3回は優勝して下さい。
阪神淡路大震災から30年。
あの朝の揺れは今も記憶にあります。
表現が正しいのか解りませんが、揺れに叩き起こされた朝でした。合掌。
掛布さんの殿堂入りは長く掛かりましたが、ミスタータイガースの殿堂入りは大変嬉しく思いますね。
イチローが満票に程遠い票しか無かったのは誰かが投票するだろうから俺は入れんでええか。って感じなのでしょうかね。
残念な投票結果やね。
頑張ろう日本!
BE KOBE
この日が来ると あの日あの時を思い出す。
大阪に通勤できなくなり 2か月近く神戸で応援業務をしていたときのことを。
昨春から縁あって 三宮近辺に通っている。震災20年を契機に「がんばろう神戸」からBE KOBE」という言葉が生まれ「神戸はもっと神戸であれ。」と歩みを進める取り組みがすすめられている。工事真っ只中の三宮駅周辺も5年後には新しく生まれかわるようだ。
南海トラフなんて物騒な出来事が現実とならぬよう、穏やかに阪神タイガースを楽しめる日が続いてほしい