藤田平氏悲痛「ショートの守備に関する、あらゆる事を教わった」吉田義男さん悼む 「本当に野球が好き、野球で妥協はなかった」/デイリースポーツ online
阪神は4日、球団初の日本一に導いた元監督で野球評論家の吉田義男さんが、3日に脳梗塞のため死去したことを発表した。京都府出身。91歳。現役時代は華麗かつ堅実な守りで「牛若丸」と言われ、名遊撃手として活躍。引退後は3度にわたり合計8年、阪神の監...
「吉田学校」、この写真いいな。「天地会」の写真もいい。
寂しいけれど、きっとまたたくさんの人がよっさんを偲んで集まるのだろう。
金田正泰監督は『巨人の星』でしか知らない。だから、私にとってよっさんは、最初の「阪神の監督」だ。
監督としてはもちろんのこと、解説者としても、「ファン代表のおじいちゃん」としても、会ったこともないのに、ずっと身近に感じていた。
昨年暮れまではお元気だったそうだから、最後まで教え子たち、孫のような後輩たちと一緒になって阪神タイガースを思い続けていたのだろう。
長い間、ありがとうございました。合掌。
コメント
現役時代を生で見ることはなく監督としての吉田義男さんがインプットされています。私の中でタイガースを初めて優勝へ導いた監督であり、タイガースが優勝するとこんなスゴイことになるんや!と知らされました。ご冥福をお祈り申し上げます。
キャンプでは榮田、中川にダメ出しがあったようですね。キャッチャーは特に頭脳が必要とされ体力的にも厳しいポジション。その上で一軍で活躍するには経験も必要とレギュラーになるにはハードルがとても高い。一方取ってしまえば何年も居座る事も出来る。梅野、坂本には経験では勝てないのでストロングポイントをアピールし可能性を感じさせるプレーを見せる様頑張ってほしいものです。
さすがに、現役時代リアルタイムでの吉田氏は存じ上げませんが、残っている
画像を見ると打球処理能力の高さがズバ抜けていました。
まるでフィルムを早回ししているかのような、捕ってから送球までの速さや
打球へ追いつくまでの俊敏さが今見ても芸術的です。
打撃もあの金田正一が最も苦手にしたと言われるように、しぶとく足を使った
打者だったという記事を見たことがあります。
何といっても最も記憶に残る吉田義男と言えば、1985年の日本一。
類を見ない攻撃力と、堅守のチームでペナントを制し、常勝軍団になろうとして
いた西武ライオンズを日本シリーズで下し、初制覇。
監督インタビューで判を押したように「挑戦者」「チーム一丸」を唱え続けて
いた姿を忘れることが出来ません。
計三回、タイガースの監督を務め、フランスナショナルチームの監督もやられて
その時に付いた「ムッシュ」という呼び名は吉田氏の代名詞にもなりました。
今年球団創設90周年の記念イベントの参加や、甲子園に「吉田義男シート」の
設置が発表されたばかりの訃報に驚くばかりでした。
きっとこれからも甲子園の銀傘の上から、温かく厳しくタイガースを見守って
くれるはず。
謹んでお悔やみ申し上げます。
ありがとうございました。
お疲れ様でした。
私にとってもやはり阪神の監督といえば真っ先によっさんが思い描かれます。
独特の落ち着いた関西弁の解説がもう聞けないと思うと悲しくて仕方ありません。
阪神に野球に寄り添っていただいた人生お疲れさまでした。ご冥福をお祈りいたします。
私の車のナンバーはずっと23です。
つい最近までお元気そうやったので驚きました
タイガース愛の象徴
よっさんの前向きなコメントに幾度となく励まされました
もうあの穏やかな関西弁のお言葉が聴けないのかと思うと残念です
ホンマにありがとうございました
吉田義男氏、岡田前監督と同じくらい「阪神タイガース愛」の強いおじいちゃんでした。
また、阪神タイガース愛だけでなく「野球愛」も強くフランスに野球を広めた事は大きな功績。
91歳まで長生きした事で、自らが指揮をとり達成した阪神タイガース日本一を、今度は2023に教え子の岡田監督が達成するのを観られた事は幸せだったでしょう。
お疲れ様でした、ご冥福をお祈りします。
高校生の頃、父からよっさんは捕った時にはもうファーストに届いてると教えられ、そんなわけ無いやろと思ってたらOB戦での吉田さんの守備観たらほんまや~と。
何か寂しい。同い年の母親もしんみりしていた。
これは今季勝たんとアカンと思う。
本当にありがとう御座いました。
野口やフェルナンデスのアーチ競演は楽しいけど、先ずはよっさんの後輩中野、木浪、小幡、高寺に糸原が大活躍することが大事。心から合掌。藤田平さんに鳥さんも早くキャンプでコーチして下さい。
吉田義男さんは京都人の誇りでした。
小学生の頃に京都のホテルであったタイガース激励会に来てはって声をかけて貰ったのが思い出です。
合掌。
23の別れ
永久欠番23。その勇姿はモノクロ写真でしかみたことがない。牛若丸のように華麗な守りを見たかった。
一丸となって。1985年はいろんな出来事があった。バックスクリーン3連発も語り継がれているし、日航機墜落事故で当時の中埜球団社長が亡くなられた。チーム一丸となって、と思いを込めた吉田監督のインタビューを思い出す。あれから40年。レジェンドのために日本一を奪還するしかない。
尽きないタイガース愛。ABCの放送席での解説が好きだった。常に前向き。非難することはない。「そうですっ!ここでバッと行くんですよ!」選手への愛が溢れていた。
5/16のレジェンドデー「至高の遊撃手列伝」でその姿を見られるはずだったのに。くしくも23、2月3日に天国に逝かれるとは…(合掌)